MINI BLOG

2021.11.03公開 / 2021.11.03更新

【新入社員紹介】実はiRイチのミニ歴の長さ!MINIとの付き合いは赤ちゃんの頃から!?

 

iRブログをご覧の皆様、初めまして。6月に入社しましたセールスアシスタントの長谷川と申します。

新潟県出身、趣味はモータースポーツ観戦とレンタルカート走行、推しのキャラクターはけろっぴとバーバパパです。

ローバーミニもBMWミニもこよなく愛す、ミニ愛ならiRスタッフの誰にも負けたくない!と思っている私の自己紹介とともにミニ愛を語らせてください!

 

 

お母さんのお腹にいた頃からミニに乗っていました

まず私の生誕からになりますが、両親の出会いのきっかけはミニでした。

当時父親が中古で買ったクラシックミニを自宅のガレージでピンクに全塗装作業をしていました。その作業中に母から声をかけられ出会ったのをきっかけに結婚、生まれたベイビーが私です。

ちなみになぜピンクのボディにしたのかというと父親曰く『俺は赤系の色が好きなんだ』とのこと・・。

だからピンクなんだあ・・(?)

とにかくそんな色のクルマが物心ついた頃から自宅にあったせいで、純正カラーのクルマには乗らない!派手じゃなきゃ楽しくない!

なんてひねくれた考えを持った娘が出来上がりました。(笑)

 

そして私がベイビーの頃に創刊されていたミニ・フリークという雑誌に当時掲載されていたのがこちら。

 

母親に抱っこされているまるまるとした私。

後にこのベイビーがミニのハンドルを握ることになるのです!

 

ちなみに我が家のミニはシャコタンになっているので走行中によくぴょんぴょん跳ねていたことから、ベイビーな私は『ケロケロけろっぴ!』とよく言っていたそうです。

そこから何故か父親がボンネットにケロケロけろっぴを描いた世界で1台であろうけろっぴミニ号が生まれたのでした〜!

写真は生まれたばかりの妹と私。小さいミニが大きく見えます!

 

 

家族旅行となっていたCLUB305

私が18歳の頃まで、毎年8月に富士スピードウェイで開催されていた『CLUB305』というミニだけのイベントがありました。

そこに家族で毎年参加するというのが長谷川家の恒例行事でした。

本コースを走るレースやジムカーナを夢中で見ていた記憶があります。

特にジムカーナを見るのが好きで、私も将来こんな風に走りたい・・と憧れていたものです。

そんな大好きだったCLUB305の最後の開催年に、ギリギリ免許を取って自分自身が参加することができました!

同乗者OKで富士の本コースを走れるファミリー走行に妹を乗せて参加できたのは本当に楽しかった思い出。

ただ、初めて走るサーキットコースで追い越し、追い越されるのがとても怖く、「みんな私を越して行って!!」と、たらたら走っていたら最後の周回は最後尾になっていました(笑)

 

 

 

18歳、免許取得、そして・・

18歳の誕生日を迎え、自動車学校に毎日のように通い夏休み前に念願の普通免許を取得しました。

初めて我が家のミニを運転したのは、免許センターまで迎えに来てくれた父親との帰り道でした。

「意外と(クラッチの)つなぎうまいな」と一発目に父親に言われて嬉しかったのを覚えてます。

同年に、ミニ・フリークのトランジャンというコーナーに乗せてもらえることになり(先ほどのベイビーの時のものも同じコーナーです)

夏休みの終わり、金沢で念願の相棒となったミニを掲載していただけました。(No.109号)

 

 

そこからというもの、かわいいミニを手に入れた私はいろんなところへ行ったり、友達を乗せたりしてました。

しかしまだまだ運転へたっぴな私は、ミニに負担をかけてばかりで壊してばかりいました。たくさん泣きました。

ウィンカーを根元から折ってしまい、ウォッシャー液が出続ける状態で土砂降りの中走ったり、

クラッチオイルが漏れて、走行中にいきなりエンストし近くのお店の駐車場に停めさせてもらったり、

ボンネットピンを飛ばしてしまったり、

ラジエーターから冷却水がダダ漏れして自走不能になり、レッカーで泣きながら帰ったこともありました。

 

ミニを壊してばかりで、一時期は落ち込んでいました。私の運転だとミニを痛めつけているのかな・・。

旧車に乗ることの大変さを痛感した経験です。

 

そして妹も免許を取った頃、我が家のクルマとして2世代目BMWミニ(R56ONE)がやってきました。

 

 

2000年にBMWからデビューしたNEW MINIを、私は『でかい!ミニじゃない!』と否定しながらも大好きになり、なんだかんだでたくさん乗らせてもらいました。

いきなり壊れない安心と、乗りごごちの良さ、運転のしやすさ・・。

エンジンはすぐかかるし暖気もしなくていい、音楽も聞ける、窓はもちろんパワーウィンドウ、水温計を気にしなくていいし、冷暖房もあるなんてサイコー!

最近のクルマはなんて乗りやすいんだろう〜!と、調子に乗って滋賀や青森など、長距離運転もこのミニが付き合ってくれました。

 

 

就職、上京!

将来の夢は美容師になること!

いつからか私は美容師になるんだと思いながら過ごしていき、美容学校を卒業後どうせなら関東に出てみよう〜!と神奈川の美容室に就職しました。

アシスタントだったので毎日早朝の練習がありました。

それに加え、厳しい上下関係、次々とやめていくスタッフ、ひっ迫する毎日の業務・・。

3年は頑張れ私!からの、いつしか辞められるときに辞めよう・・と考えるように。

 

そんなとき、原宿ファッションが大好きだった私は、よく行く原宿のお店の求人広告を見つけ即面接へ。

無事採用となって原宿のショップ店員となったのです。

その時から初めて社会人の生活が、関東での生活が楽しいと思えるようになりました。

私に会いにきてくれるお客さんや観光でくる外国人のお客さんとの接客など、とにかく楽しいでしかなかったです。(自由な格好で仕事ができるしね!)

 

 

 

駆け抜けた4年間でしたが、自分の中でもう原宿ファッションを盛り上げるモチベーションがなくなっていくのを感じ、派手で楽しかった原宿生活に幕を閉じました。

 

 

私の好きなもの

まだ短い社会人生活ですが、自分が今まで好きなことを仕事にしていることに気づきました。

そしたら次の仕事はクルマだ、ミニだ!と思い立ち都内のMINI正規ディーラーへ就職しました。

 

私が満員電車に揉まれながら原宿を行き来してた間に、ミニは3世代目のF型が新車販売を開始しました。

 

えーっ!3ナンバーになってる!でかい!センターメーターにナビがついてる!

あ、でも相変わらずアンビエントライト無駄にいっぱい光るんだなあ。

なんて、我が家のミニワンと比べたりして、明らかに今風にグレードアップした現代のミニを知りました。

 

ディーラーではお客様にミニの魅力を伝える、営業とはまた違うジーニアスという職種につきました。

ジーニアスとはミニという商品の説明をメインとする業務内容だったので、それはもう必死に知識を頭に叩き込みました。

いらっしゃるお客様もこれまで接客したことのない層だったので、言葉遣いから身だしなみまで本当に初心者マークでした・・。

 

そんな中、日々ミニの知識を増やすべくネットでミニ・・と調べていると、iRのブログによくたどり着いていました。

iRとは・・?と、ホームページを見てみると、なんとBMWミニもローバーミニもあるではないかー!!

羨ましい・・ミニ専門店って書いてある・・羨ましい・・とiRがどんどん気になる存在となり、

ついにミニ専門店iRの仲間入りすることになったのです!

 

 

そして現在

イールでは受注されたお客様の納車予定管理や在庫車の管理など、いわゆる裏方の業務を行っています。

毎日ミニに囲まれ、ヨシヨシと1台1台可愛がっています。

ミニは私の人生で欠かせない存在です。そしてこれからも生涯ミニ乗り!

ちなみに今は父に一旦ミニワンを返して、3世代目のミニ3ドア(F56クーパー)に乗っています。

色はもちろんピンクです。(周りからは紫と言われますが・・)

 

 

こんな、いわゆるミニオタクな私ですがどうぞよろしくお願いします。

ミニのイベントも、BMW、ローバーどちらもよく出没しているのでもしもお見かけしたら仲良くしてくださいね〜!

 

最後に・・

我が家のミニはもう30年以上経過したおじいちゃんミニですが、

今もまだ現役バリバリで公道を走っています!この先も大事に乗り続けていきます。