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2023.11.21公開 / 2023.11.21更新

【第31回ジャパンミニデイ in 浜名湖】今年はオフィシャルとして参加しました!

 

11月4日土曜日に開催された今年のジャパンミニデイ。

11月とは思えない暖かい気候の中、天気に恵まれ写真映えもばっちりなイベント日和。

写真の整理など含め、時間がかかってしまい遅くなってしまいましたが、恒例のイベントレポートを私、iR世田谷の長谷川がお届け致します!

 

 

今回のミニデイは主催するJMSA(Japan MINI’s Specialist Association)のオフィシャルスタッフとしてミニデイオリジナル記念グッズの販売やプレスとして、iRを代表して綾部社長(通称シャチョー)、撮影部隊の松本さん&岩橋さん、そして自称ミニオタクの長谷川の愉快な4人で参加しました。

今回は写真撮影担当の岩橋さんがプロフェッショナルでアーティスティックな写真をたくさん撮ってくれましたので、写真多めのイベントレポートとなりました。

 

↓↓昨年のミニデイの様子↓↓

【第30回ジャパンミニデイ in 浜名湖】3年ぶりに開催された日本国内最大のクラッシックミニの祭典にミニ初心者の私が参加してみたイベント参加レポート!

 

 

AM 8:30 ゲートオープン!

今年も多くのミニオーナーとミニが全国から集結!

早い時間でしたがすでに入場ゲート前には長蛇の列。

綺麗に整列しゲートオープンを待っていたミニたちは、いつみても画になりますね〜。

 

入場後も各エリアに綺麗に整列し、今年も会場全体をミニが埋め尽くしていました。

 

 

来場者数は年々過去最多を更新し続け、今年は去年よりも数百人多かったんだとか・・・どこまで大きくなるんでしょうか!?

 

オフィシャルスタッフとして動画や写真撮影に会場全体を駆け回る!

この記事やインスタ投稿用のiR用写真撮影はもちろんのこと、今回はミニデイの公式カメラマンとして参加しているプレスチームの松本さん&岩橋さん。

会場入りしてからは入念に撮影機材のチェックをし、朝から会場内の撮影ポジションを駆け巡っていました。

 

 

 

松本さんは主に動画撮影、岩橋さんは写真撮影を担当。

私はフリーマーケットエリアやクラブサイト内を散歩(という仕事!)。

 

 

 

もっと会場内を散歩したい気持ちを抑え、オフィシャルショップのお仕事へ向かいます。

 

ミニデイ記念グッズの販売

記念グッズは、事前に公式サイトにて購入予約された方の商品引き換えブースがあり、その隣に数量限定で当日販売のブースを設けておりました。

シャチョーと私はミニデイ記念グッズの当日販売ショップでのお手伝いをしました。

 

販売開始時間前にはテント前に行例がずらり・・!

毎年この行列を横目に見ているだけの私でしたが、まさか今年は販売する側になるなんて、思ってもいませんでした。

と、そうこうしているうちに、今年の記念プレートが即完売!

予約していた私も無事記念プレートをゲット★

 

 

イベントに参加すると、その記念になるものって欲しくなりますよね。

毎年恒例のミニお守り、記念切手、マグカップの他に、今回は歴代の記念グッズも特別に販売してました。

久々の店頭販売をしてアパレルスタッフ時代に戻ったような、なんだか懐かしい気持ちです。

 

 

 

じゃんけん大会でフィーバー!

グッズ販売に躍起になっていたらあっという間にじゃんけん大会の時間がやってきました。

いつもBMWミニでのイベント(MINI FES)で必ず参加するじゃんけん大会、今年はイベントが順延・・・泣

この気持ち晴らすべく、ミニデイでは絶対に参加するしかない!!

じゃんけん大会の会場にはたくさんの参加者が集まってまいりました!

 

 

 

撮影部隊の岩橋さんと共に参加していたのですが、いつも初戦で敗退。

私たちじゃんけん弱いね〜なんて話していたところ、4回目の景品の回では順調に勝ち進み・・・

 

なんと!

まさかの最後まで勝ち残り!

これにはシャチョーもびっくり。(後ろから写真撮ってるのがシャチョー)

 

この回の準優勝賞品はスポットクーラーでした。

記念にパチリ★

 

個人的なお話ですが、今年は厄年でもありなかなか良い事に恵まれない日々でしたが、11月にしてようやく運気が向いてきたかもしれません↑↑↑

でもこのスポットクーラー、クラシックミニで来られた方だったら、どうやって持って帰ったんだろう!?

 

【イベントレポート】今年も参加してきました!MINI FES2022@富士スピードウェイ

 

ミニパトロール巡回

フリーマーケット&ショップ

オフィシャルのお仕事も落ち着いたので、私の本当の目的である会場のミニパトロールをしていきます。

会場内のミニは隅から隅まで全台数見ないと気が済まない私ですが、フリーマーケット&ショップブースも必ず全ブースチェックします。

いつも可愛いミニグッズが並び、どれを買おうか悩みに悩むので何回もグルグル回ってしまいます。

 

DINKYさんのカレンダーは配色がお洒落でツボでした。

 

シフトパターンのパーカー!?

確かに、改めてここだけ見るとロゴっぽいですね!

 

アパレルやミニグッズもたくさんあって、ライトに楽しむ事もできますが、実際に車両に取り付け可能なパーツ類も色々と並んでいます。

今では手に入らないレアなパーツもあるので、コアなミニオーナーさん達は何かないかな〜とついつい長居してしまうコーナー。

今回は個人的な目的で我が家のミニの壊れてしまったセンターメーター候補を探していたのですが、探してみると意外と同じものが見つからず・・・

メカニックの部分は勉強中な私ですが、パーツを探したりショップの方からお話をお伺いするだけでも色々と勉強になりました。

 

 

 

 

クラブサイトにて

 

各地から集まったミニのオーナーズクラブサイトには個性的なミニがずらり。

モデルやテーマを元に並んでることが多く、エリア一画の雰囲気が統一されまた違った楽しみ方が出来ます。

クラブマン エステートが並んだエリアを歩いていると、見たことのあるイエローのクラブマンが。(一番奥のイエロー)

 

 

オーナーのMさんはこのクラブマンエステートの他にBMWミニクラブマン(F54)も所有されており、いわゆるナガモノのエキスパートなんでミニ業界でも有名人。

先日、イールブログでも紹介しましたNEW MINI STYLE MAGAZINE12月号「さらば愛しのクラブマン」のページでもこのクラブマンエステートが掲載されておりますので、是非ご覧下さい!

 

【メディア掲載】NEW MINI STYLE MAGAZINE 12月号にてiRが掲載されました!

フルレストアしたというクラブマンエステートのエンジンルームを見せていただけました。

 

私の薄いミニメカ知識では全てを理解できませんでしたが、オートマで、しかもエアコンが付いていて、なのにキャブレター。

こ、こんなことできるんだ・・と勉強になりました。

Mさんありがとうございました!

 

ナンバープレートで語るミニ

ミニを見るのはもちろん好きなんですが、実はナンバープレートオタクでもある私。

会場で見つけたレアナンバープレートもご紹介いたします!

 

 

こちらはオーナー様と長年寄り添い続けた歴史を感じるエモいナンバープレート。

文字が薄くなってるのがめちゃくちゃ良い味出してました。

ちなみに後ろのナンバーも薄かったそうなんですが、車検更新時にあまりに薄すぎたので塗り直したそうです。

 

「栃木」ではなく「栃」 → 1987年までに登録されているということ

分類番号が二桁 → 1999年までに登録されているということ

 

オーナーさんにお話をお伺いすると、こちらのミニはなんと50歳になる大先輩でした!

だけどそんなことを感じさせないくらいに綺麗な佇まいのミニなので、オーナーさんが大事に乗られているのがよくわかります。

ご対応ありがとうございました。

 

 

こちらもとんでもない奇跡のナンバーをつけたミニを発見しました。

一連指定番号を希望ナンバーによって「3298」としているミニは多いですが、分類番号がまだ二桁であった時代は希望ナンバーの制度がない時代でした。(1999年より希望ナンバー制度が開始されました。)

なのでこのミニは全くの偶然で払い出しされた奇跡の「3298」ナンバーなんです!

このミニも末長くナンバーが変わらないまま乗られ続けてほしいですね。

 

そしてこちらのミニもよく見てください。

いや、よく見なくてもこのダイナミックに張り出されたオーバーフェンダーにより構造変更されたミニ!

本来のミニであれば車幅1500mmほどの小型乗用車ですので、分類番号は5ナンバーです。

ですが車体の車幅が1700mm以上になると3ナンバーになるんです。(厳密に言うとその他の要因もありますが割愛します)

一見このナンバー珍しいの?と思っちゃいそうですが、世にも奇妙なナンバーがついたミニなんです。

(ちなみにこのミニオーナーさんは私の父親の友人さんでした、偶然!)

 

トランクテーブルピクニック

 

最近流行りのミニスタイル、とミニデイのパンフレットにもある通り、なんともおしゃれなピクニックスタイル。

昔からあるアイデアはありますが、昨今のアウトドアブームと、ミニの限られた収納に見事にフィットしたグッドスタイル!

皆さんそれぞれのミニに合わせてディスプレイしており、なんだか優雅〜なエリアでした。

 

そんな中、撮影部隊の二人を発見し、合流して散策していたらイールステッカーを貼ったミニを発見!!

 

思わず話しかけちゃいました〜

 

取材(!?)にご対応いただいたのは半年前にiR世田谷でこちらのミニを納車されたW様。

少しづつ自分好みのドレスアップを楽しんでいるようで、今回マイカーではじめてのミニデイに参加。

こうやってご納車したお客様がMINI LIFEを楽しんでいる様子を見ることができると嬉しいですね。

これからも素敵なMINI LIFEをお楽しみいただければ幸いです。

 

そういえば、撮影部隊の岩橋さんもご家族がミニに乗っており、今回のミニデイのファミリーサイトで参加されておりました!

クラシックミニの他にもBMWミニコンバーチブル(R57)も所有されているそうで、岩橋家は我が家と同じミニファミリーでした。

イールでミニ仲間が増えていって嬉しい限りです☆

 

イールの納車ブログでもミニ愛に溢れたお客様をご紹介しています。

ミニとオーナーさんの繋がりには必ずヒストリーがあり、どんなエピソードもほっこりしちゃいます。

【口コミ評判】世田谷区にお住まいのT様へローバーミニクーパーをご納車致しました!

 

まとめ

小さい頃、何度か家族で参加していたミニデイにまさか大人になってオフィシャルスタッフとして参加できる日が来るなんて想像もしていませんでした。

子供の頃からずっと変わらないのが「ミニが好き」という気持ち。

昔も今も色褪せないミニが相変わらず大好きなんです。

そんな同じような想いのミニオーナーさんが日本中にたくさんいることを、今回のミニデイでも感じることができました。

 

本当にミニは幅広い年代の、様々な人から愛されてるクルマだなあ〜と思います。

だって参加していたミニからは、オーナーそれぞれのライフスタイルや共に人生を歩んできたヒストリーが滲み出ていましたから。

これからも1台1台のミニが元気に走る姿が見れるように、ミニのある文化を受け継いで行かないと!という使命感を勝手に受け、ヘトヘトの帰路につきました。

 

来年はMINI生誕65周年でジャパンミニデイ32回(ミニ回!)と記念すべき年。

また浜名湖で会える日まで全てのミニが元気よく走っていて〜!と願いを込めて。

 

また来年!

 

全車納車前定期点検整備付
保証なし
※支払総額には購入の際に必要な費用(納車前点検整備費用、保証費用、法定費用、自賠責保険料、車庫証明手続代行費用、リサイクル料金など)が全て含まれています。※掲載月現在、在庫店舗での登録(届出)、店頭納車での価格となります。※お客さまのご要望に基づくオプションなどの費用は別途申し受けます。

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2022.11.27公開 / 2022.11.27更新

【第30回ジャパンミニデイ in 浜名湖】3年ぶりに開催された日本国内最大のクラッシックミニの祭典にミニ初心者の私が参加してみたイベント参加レポート!

 

2022年11月6日、コロナ禍で2020年から中止されていたジャパンミニデイin浜名湖(以下ミニデイ)が3年ぶりに開催されました。

クラシックミニの祭典であるミニデイは、ローバーミニだけでなくオースチン、モーリス、ミニモークやミニマーコスなど、多種多様なミニたちが一同に集まるクラシックミニとしては日本最大のイベント!

今年の開催は30周年を迎える節目のアニバーサリーイヤーであり、開催決行されたことを一人のミニ乗りとしてもとても嬉しく思います。

 

普段から個人的に新旧ミニのイベントに参加している私ですが、今回はプライベートではなく、ローバーミニの当社工場iR MAKERS(イールメーカース)がフリマでブース出展をしているので、お手伝いと会場取材チームとして参加してきました。

 

ミニデイ自体が3年ぶりということもあり、来場者数は過去最多(3000台!?)になったとの事!

会場に入るとミニのエンジン音とオイルのにおい・・・

周りを見ればミニ、ミニ、ミニ・・・と会場内は非日常の異空間なんですが、ミニオタクにはたまらない空気です!笑

 

 

今回はiRのWEBプロモーションチームも一緒にイベントに参加していたので、普段私がスマホでパシャパシャ撮ってる写真とは大違いの、ハイクオリティな写真でイベントを振り返ってみようと思います。

クラッシックミニにはあまり詳しくない私ですが、今回のイベントレポートはユーザー目線で会場の様子や会場内で見つけたミニの素敵な写真を中心に紹介していきたいと思います。

 

 

会場到着!

現地へは8時前に着くように出発!

世田谷からは夜明け前に出発しないと間に合わない為、午前3時起床です。

まだ寝ぼけ眼のまま東名高速を西へと向かいます。

 

会場近くになってくるとサービスエリアには続々とミニが現れはじめます!

 

数台に連なって高速を走行する姿や、サービスエリアに入ってくるミニ達は、ボディは小さいけど存在感は抜群でした。

 

予想よりも早く会場に到着。

にも関わらず多くのミニミニミニ…

朝8:30からのゲートオープンに向け、長蛇の列を作っていました。

 

ゲートオープン!

ついにゲートオープン!

予想を超えるミニの参加台数に、ゲート付近では慌ただしく受付が行われていました。

運営者であるJMSAのメンバーさんを中心としたボランティアのオフィシャルの皆様、本当に朝早くからお疲れ様です!

 

ちなみにこの時点では入場だけで、イベント自体ははじまっていないのに、テンションは上がりっぱなし!

この日は天気にも恵まれ、青空の下どのミニもキラキラとしていて、とても生産終了から22年も経過しているクルマとは思えない個体ばかり。

どのミニも本当に個性豊かでした。

 

開会式〜イベントスタート!

会場のメインステージにて、開催の挨拶が行われます!

 

イギリス、バーミンガムMINIオーナーズクラブの会長であるMichael Price氏が登壇しご挨拶。

 

 

予想以上の参加台数だった為か、ゲートオープン後も続々とミニが入場!

 

 

ここまでクラシックミニが連なる光景は本当に稀な為、圧巻の一言。

 

フリーマケットエリアを探索

会場内のフリーマーケットエリアでは、多くのブースが出店されていました。

 

 

 

 

クラシックミニ向けのパーツのみならず、フードやアンティーク小物など、個性あふれる出店を見ることができました。

 

 

 

 

弊社工場のiR MAKERSもフリーマーケットで参加し、クラシックミニ向けの中古パーツを展示販売いたしました。

おかげさまでiR MAKERSブースは大盛況、お買い求めいただいた皆さまありがとうございました!

 

ご当地フードが味わえるフードコートエリア

フードコートエリアではご当地グルメなどが集結!

どれも美味しそう・・・

 

こちらは本格フレンチシェフの作るミニデイオフィシャルランチBOX。

ミニデイオリジナルの刻印の入ったマフィンは食べるのが勿体無いくらい可愛いかった・・・

もちろんお味もGOODでした!

 

ミニデイ30周年記念のビッグチャンス!「Get! the VALTAIN RACING」抽選会

 

メインステージでは抽選1名にVALTAIN RACING MINIがプレゼントされる、スペシャル企画が行われました!

VALTAIN(ヴァルタン)とはミニデイの主催団体でもあるJMSAが展開する自動車パーツのオリジナルブランド。

 

ミニのワンメイクレース『998challenge』に参戦する為に制作されたJMSAのレーシングカーがこのVALTAIN RACING MINIです。 2013年シーズンの総合優勝を含め、シリーズ上位の常連マシン!

レースレギュレーションでは触媒レス、助手席&後部座席レス、フルバケにフルハーネス、ロールケージ等々・・・とてもそのままでは公道走行できない程の純粋なレースカーです。

 

そんなマシンを大胆にも抽選会の目玉景品としたのが今回のスペシャル企画!

当選後は、JMSA加盟のクラシックミニ専門のショップで公道走行可能な状態に整備し、車検2年付き納車されます。(手厚い!)

ちなみに当選した場合は4年間は転売は不可(JMSAの所有権付き)!

新しいオーナーにはクラシックミニイベントへの参加要請も入るようです。

 

 

 

抽選券は1枚500円で、何枚でも購入可能。

本気で欲しい人は何十枚も購入していたそうですよ。

イベントに参加したiRスタッフも購入しましたが、残念ながら落選…

まさに30周年にふさわしいスペシャルな景品をゲットした幸運の持ち主は・・・!?

 

抽選会の様子はiR公式Instagramアカウントにて生配信を行いました。

アーカイブに残してありますので気になる方はチェックしてみて下さい!

 

こんなレーシーでスペシャルなミニをゲットしたら、どんな遊び方をしようかと考えられる、夢の広がるイベントでした!

 

ミニコレクション in ミニデイ

普段目にする事もできない貴重なミニから、目を奪われるようなカスタムミニまで。

会場には個性豊かなミニひしめき合っており、日本一色々なミニを見ることができるイベントといっても過言ではありません。

こういった様々なオーナーさまのミニを見ることが、私の中でのメインイベントだったります。

今回も、会場で気になったミニを写真でご紹介していきたいと思います!

 

ピッカピカなローバーミニ!

ホワイトルーフと相性の良いライトグレーはツィードグレーでしょうか。

 

鮮やかな水色が可愛らしいミニクラブマン エステート!

フロントグリルデザインがゲキ渋でとってもお洒落な一台。

 

こちらは牽引トレーラー付きのミニ!

それぞれのトレーラーはしっかりとナンバー取得済み。

テールライトの形は違えど、フェンダーレス&ホイールデザインまで統一されているこだわり様!

 

会場ではレーシングミニの展示も行われていました。

ミドリガメと名付けられたミニデルタさんのこちらの車輌はサーキットでもミニらしからぬ走りでミニフリークを魅了します。

 

 

レーシングミニの展示エリアの中でも一際存在感のある1台。

ミニの卸売業者さんである三和トレーディングさんが持ち込んだこのミニは1994年に開催されたレースで見事優勝を飾った世界最速のミニ!

478kgのボディに181馬力を発揮したモンスターマシンです。

 

イベントでしかほぼ見ることができないミニマーコス!

ミニをベースにクーペスタイルへと変身した希少な1台です。

ヘッドライトの形状など、どこかミニらしさが。

こちらも新車!?というほど美しい個体でした。

 

 

軍用車のようなテイストで特徴的なデザインに目を奪われてしまうミニモーク

普段街で見かけることはほとんどありませんが、ミニデイなら数台見かけることができました。

 

あとがき

コロナ禍となってからめっきり減ってしまっていた大規模イベントでしたが、ようやく(本当にようやく!)日本最大のクラシックミニの楽園に参加することができ、夢のような時間でした。

1959年の誕生から60年以上も経つのに、これほどまでに多くのミニが、それぞれのオーナー様に愛され、大切に乗られている。

美しいミニがただそこあるだけでなく、その背景にあるオーナー様との生活やヒストリーも感じることができることが、ミニのイベントの最大の魅力だなーと改めて実感することができました。

(そんなことを考えながらイベントを振り返っていると、勝手に感極まってウルウルしています。笑)

 

これから時間が経てば経つほど、クラシックカーとなっていくローバーミニ。

年々新たな故障や課題と直面しており、維持することも大変になっていていますし、現存する国内の個体も減少しています。

それでもやっぱり世界中で長年に渡り愛され続けた名車なので、いつまでも元気に走ってる姿を見ていたい!

そのためにもミニのイベントが全国各地で開催され、多くのファンと多くのプロショップが協力しあい、多くのミニが元気に参加し、愛されていて欲しいと願います。

わたしもイールの一員として、これからもミニを取り巻く世界の盛り上がりを、お手伝いしたいと思います。

 

どうか来年も、この素敵なイベントが無事に開催されますように!

HAPPY MINI LIFE FOREVER!!!

 

 

ROVER MINIストック一覧

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※支払総額には購入の際に必要な費用(納車前点検整備費用、保証費用、法定費用、自賠責保険料、車庫証明手続代行費用、リサイクル料金など)が全て含まれています。※掲載月現在、在庫店舗での登録(届出)、店頭納車での価格となります。※お客さまのご要望に基づくオプションなどの費用は別途申し受けます。

 

過去のジャパンミニデイ参加レポートはこちら↓

【今年も参加してきました!】国内最大のクラッシックミニの祭典!第25回 JAPAN MINIDAY in 浜名湖

【参加レポート】MINI最大のイベント!第22回 JAPAN MINIDAY in 浜名湖

 


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2020.08.15公開 / 2020.08.15更新

【新入社員紹介】UKパンクロックと英国をこよなく愛する元メカニック

ミニ中古車専門店 iR(イール)のブログをご覧の皆様はじめまして!

2020年7月よりiR世田谷に仲間入りをしました『堀口 正人(ホリグチマサヒト)』と申します。

今回は自己紹介と共に、なぜ数あるシゴトの中からクルマ屋を選んだのか?星の数ほどある中古車販売店やMINI専門店の中からiRを選んだのか?ということについて書かせていただきます。

 

小さな頃から好きだったクルマ

出身は埼玉県の山が多い地域。最近はベッドタウン化しアパートやマンションが次々と建設されているのですが、最寄駅には自動改札機が導入されていないという程よい田舎町です。スターバックスはありません。

家族構成は父母姉と祖母です。クルマがないと生活が難しいエリアで、私が免許を取得したばかりの頃は家族それぞれ合わせて5台の車を所有していました。

父はニッサンのサファリというSUVに乗っており、家族でのドライブや、父の故郷である北海道への帰省は良い思い出です。

夜中の高速道路を走っている時や、大洗のフェリーターミナルで車を積み込んで海を渡った記憶は今でも残っています。

 

そんな影響で幼少期よりクルマが大好きで、両親の話によると物心が付きはじめた頃からひたすらミニカーで遊んでいたそうです。

そして、小学生時代にはミニ四駆に情熱と全てのお小遣いを注いでおりました。

 

 

ミニ四駆は何度かブームの時期がありますが私の場合は恐らく最も大きなブームだった爆走兄弟レッツ&ゴー!!でお馴染みの第2世代です。

当時はインターネットが一般的に普及していませんので、雑誌(コロコロコミック)やテレビ番組(タミヤRCカーグランプリやTVチャンピオン)などの情報を頼りに速いマシン作りに励んでおりました。

 

ミニ四駆から足を洗ったあとは様々なレースゲームをプレイする生活を送るようになるのですが、中でも好きだったのがレーシングラグーンというソフトで、世にも珍しいRPG×レースゲームといったスタイルで舞台は夜のヨコハマ。

このゲームの特徴の一つが、カスタムの自由度がとても高いこと!例えば軽自動車のエンジンを大型トレーラーに搭載することなどができ、実際に走らせてみると亀と同等の加速を体感することができます(笑)

ゲーム内に登場するクルマも国内外の様々な車種があり、その中にはクラッシックミニ(ゲーム内ではmicroという名前)もありますので、スカイラインGT-Rのエンジンを搭載し、ツインターボを4つ程装備した常識では考えられないモンスターMINIでライバル達をぶっちぎっていました。

 

この頃から将来はクルマをイジる仕事に就くんだとイメージするようになり、高校卒業後には専門学校へ進学し整備士免許を取得。

就職活動の際には様々な企業の面接を受けましたが、結果的には全国展開しているカー用品店でメカニックとして働く事となりました。

 

当時所有していたはじめてのマイカーは、学生時代に買ったスズキのセルボモードという軽自動車。NAだったのでエンジンパワーこそ非力ながらMT車の為、楽しく運転していた記憶があります。

ミニ四駆を改造しまくっていたDIY精神から、ノーマル状態のクルマに乗ることに耐えられず、内装やステアリングをウッド製の物へ変更。シートは上級グレードのレザーシートへ交換するなどいたる所をカスタムしました。

毎日汗とオイルにまみれながら働いていたのですが、ちょうどその頃クルマ以外にも興味が出てきたものがあり、それが音楽でした。

 

ブリティッシュロックと上京物語

音楽には色々なジャンルがあるのですが、私はブリティッシュなロックをこよなく愛しています。

 

The Dead 60s

Hard-Fi

勝手に紹介しちゃいますが、このThe Dead 60sHard-Fiは私が最も音楽活動に力を入れていた時期にデビューしたバンドです。紹介した2曲だけではわかりづらいかもしれませんが、どちらも現代では珍しい「志」を持ったバンドで、今でも大好きなアーティストです。

 

様々な音楽に触れているうちに『自分でもロックしたい!』という思いが強くなりバンド(ドラム)をやることになりました。

何事もカタチから入るタイプの私は、バンドやるならトーキョーでしょ!と思い、地元の埼玉を飛び出し、パンクでロックな上京物語が始まります。(埼玉の場合でも上京と言っても良いのかわかりませんが…)

 

 

バンド活動の傍らでは腕時計を扱うショップでアルバイトをしていました。

実店舗は構えておらず、インターネットショップでの販売でしたのでお客様と直接お会いすることはなく、メールか電話での対応となります。

対面をしない接客では普段以上に丁寧な文面や言葉遣いが求められますので、そういった部分には特に気をつけていました。

ただ、当時はド金髪のバンドマンだったので、お客様は丁寧なメール対応をしている店員が、まさかそんなド派手な風貌だったとは想像できなかったことでしょう(笑)

 

音楽活動の糧となるべく色々なアーティストを聴くようにしていたのですが、好きなバンドのバックグラウンドなどを調べているうちに、気づいたときにはファッションも音楽もイギリスまみれ、部屋の中はユニオンジャックだらけなイギリスかぶれになっておりました。

 

 

もともとクルマが好きだった人間がイギリスの文化へ興味を持ったら…MINIに興味を抱くのは当然の結果でした。

 

iRとの出会い

数年の時を経てバンド活動も落ち着き、それまで続けていたアルバイト生活から抜け出すべく、本当に自分がやりたいこと、好きなものは何だろう?と自問自答した時に真っ先に思い浮かんだのが…小さな頃から好きだったクルマでした。

 

イギリスが好き。クルマが好き→MINIだ!

 

それに気付いてから仕事を探しはじめたある日、私の目に飛び込んできたのがiRのホームページでした。

 

 

洒落たショールームに並んでいるのは昔から憧れていたあのクルマ。

 

41年間もの間、基本的な構造を変えることなく生産され続けたクラシックミニ(ローバーミニ)。 

開発当時はそれまでに無かった革新的なデザインのクルマ。

 

そのクラシックミニを現代のニーズに対応するべく進化させたBMWミニ

今までのミニらしさを受け継ぎつつ、今の時代に合わせてアップデートする。 

 

せっかくならクラシックミニとBMWミニの両方に触れることのできる環境で働きたいと思う私にとってはうってつけの環境でした。

 

クラシックミニのように時代をも変える革新的なアイデアと、BMWミニのように常に変化と進化をし続ける向上心

そんなMINIマインドを胸に、私にとってのLIFE WITH MINI(WORK WITH MINIかな?)がスタートしました。

 

MINI LIFEをサポート致します!

 

iRはクラシックミニとBMWミニを並行して取り扱っており、国内でも有数の在庫台数と販売台数を誇るショップです。

 

MINI専門店ということからMINIに詳しいお客様と接する機会もあるかと思います。

初めてMINIに乗ろうとしているお客様、初めてのマイカーを買おうとしているお客様もいるかと思います。

 

私たちスタッフからしてみれば、お客様へ納車をしたタイミングがゴールだと思いがちですが、お客様にとっては納車のタイミングがスタートのタイミングです。

単なる営業スタッフではなく、元メカニックという経験を活かしてご納車してから始まるお客様のMINIライフをあらゆる面からサポートできるように、MINIのプロとしての専門知識を得るべく日々是精進でございます。

ショールームへお越しの際はお気軽に声をかけてください!

 

P.S.このブログに貼り付けてある動画のバンドにピンと来た方からのバンドのお誘いもお待ちしております。


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2017.09.22公開 / 2020.03.10更新

ミニの過剰なイギリス愛♡

 

BMWミニのカタログを見ていると、ふと思うわけです。

 

 

「ユニオンジャック多すぎ!」どんだけイギリスが好きなんだ、と・・・

ミラーカバーにドアハンドル、タイヤのエアバルブの小さな蓋にまでひとつひとつユニオンジャックが描かれています。

そこで今回はミニの過剰ともいえるイギリス愛について書いてみました。

 

 

そもそもBMWミニはイギリス車?ドイツ車?

 

1959年、イギリスで誕生したミニ。その後、クラシックミニと言われるミニのほとんどはイギリス生産のイギリス車。ちなみにミニの産みの親である設計士アレック・イシゴニスもギリシア系イギリス人。クラシックミニはイギリスが生んだ名車として、今尚世界中で愛され続けています。クラシックミニにおける「MINI=イギリス」のイメージには誰もが納得です。

 

しかし、MINIブランドはBMWグループに買収され2001年より全く新しい「BMWミニ」として生まれ変わりました。現在は「MINI=BMW」とイメージする人も多いのでは?

ここである疑問が。BMWってドイツのメーカーじゃないの?だとするとBMWミニはドイツ車?

 

正解はイギリス車!

 

BMWグループ傘下というだけで、MINIというブランドはイギリスです。

BMWグループには他にも、超高級車ブランド ロールスロイスも傘下にあり、こちらも同じくイギリスブランドのイギリス車。

 

よかった。MINIのイギリス愛が過去の栄光に縋ったものじゃなくて…これで心置きなく過剰なイギリス愛をイジれそうです。

 

「ユニオンジャック」を「日の丸」に変えてみると

 

よく日本国内で「NEW YORK CITY」とか「LA」とか書いてあるTシャツや帽子を見かけますが、あれって英語だからカッコいいんんであって、日本だと「横須賀」とか「忍」「侍」って書いてあるTシャツや帽子をかぶっている感覚?(バカにしている訳ではありません) この辺の感覚は、イギリスではどう思われているのでしょうか・・・イギリスでもユニオンジャックを付けたミニがたくさん走ってるの?

 

ユニオンジャックを日の丸に変えると、その気持ちが分かる気がしたんで、ちょっと試してみました。まずはユニオンジャックの主張がすごいクロスオーバーの「ロンドンパッケージ」。

 

 

やはりユニオンジャックの持つ個性的なカラー、デザインがミニのイメージにマッチしていますね。めちゃくちゃオシャレです。

 

続いて「TOKYOパッケージ」(仮)

 

 

うぅ~~~~ん・・・シンプルですね。(雑ですいません)

白ボディに赤サイドミラーはアリですが、やはりルーフに日の丸ってちょっと抵抗あります・・・丸いボタンか鶴のタンチョウみたいですね。ボンネットストライプは2本(日本)にしときました。はい。

続いてこちら。

 

ポールスミスミニのグリルバッジ

ミニのイギリス愛はBMWミニから始まったものではありません。

ローバーミニの時代、イギリスの有名ファッションブランド『ポールスミス』とコラボレーションした限定車ポールスミスミニ。そのフロントグリルに黄緑色の特別なグリルバッヂが装着されているのをご存知ですか?

 

 

このバッヂ。イギリス本土、グレートブリテン島をかたどったグリルバッヂなんです。知らない人が見るとなんの形か全くわからないのでお客様よりよく質問されます。そんなイギリス愛溢れるこのグリルバッヂを日本ver.で真似してみました。

 

 

うーん、あまりしっくりきませんね。取り付けが面倒くさそう。

このままでは悔しいのでグレートブリテン島の形に似ている都道府県を探してみたところ、個人的に滋賀県と三重県の繋がった形が一番それっぽい。という結果になったので、一応報告いたします。

 

 

はい。これ以上やると怒られそうなので止めときましょう。

結果、ユニオンジャックだから良い!イギリスだから良い!ということですね。

 

MINIの限定車はイギリスの街、道、公園!?

BMWミニ発売後様々な限定車が発売されてきましたが、そのほとんどがイギリスの街、道、公園、宮殿をイメージソースにデザインされ、そしてネーミングされているのをご存知ですか?

例えばこちらの初代ミニクラブマンの限定車ボンドストリート。

 

 

「BONDSTREET」とはロンドンの中心部のウエストミンスターにあるハイブランドのブティック等が立ち並ぶ高級ショッピング街のこと。このストリートの雰囲気をミニに落としこんだのが限定車ボンドストリートで、シャンパンゴールドの専用ルーフカラーや、シートやダッシュパネルまでレザーで仕立てられ、ボンドストリートの名に恥じぬ高級仕様の限定車となっております。

 

 

この他にも、イギリスの要素を含んだ限定車が多く発表されてきたので、思い当たるものを全て書き出してみました。

 

イギリスの地名、エリア

メイフェア

カムデン

ハイゲート

ハンプトン

ベイズウォーター

ウェンブリー

SOHO

グッドウッド

 

イギリスの通り、道

ボンドストリート

ベーカーストリート

ブリックレーン

サヴィル・ロウ

 

イギリスの公園

グリーンパーク

ハイドパーク

 

イギリスの宮殿

クリスタル

バッキンガム

 

こんなにありました。

そんなイギリス愛に満ちた数々の限定車の中に、実は日本をイメージし日本の要素を取り込んでデザインされた限定車が過去にあったんです!

2010年3月2日に発売された2代目3ドアハッチバック(R56)の限定車!・・・その名も

「MINI meets SAKURA.EDITION NIPPON」

 

 

・・・

・・・

・・・は?

道とか公園の名前とちゃうんかい!

「TO-KAIDO EDITION」(東海道)とか「YOYOGI PARK EDITION」(代々木公園)とかじゃないんだ・・・

 

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さいごに

MINI以外でブランドの産まれ故郷の国旗を掲げたクルマを思い出してみても、すぐ思い浮かぶのはFIATやフェラーリのイタリア国旗(トリコロール)と、VOLVOのリアにスウェーデン国旗のステッカーが小さく貼ってあるくらいでしょうか。

 

 

 

MINIほどユニオンジャックを猛プッシュするクルマは他に無いし、こんなにユニオンジャックを付けたくなるクルマも他に無いでしょう。それだけ、誰もが認める「イギリスを代表するクルマ」ということですね。

過剰なまでのイギリス愛にちょっと嫉妬しちゃいました。今後は日本の要素を取り入れた限定車、もっと発売して下さい!iRのある「KAN-PACHI STREET EDITION」(環状八号線)の発表まってます。


MINI BLOG

2016.11.15公開 / 2018.09.17更新

マイナーとカニ目 〜ミニの仲間たち〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴氏をライターに迎えたコラムの第7弾。『ミニの仲間たち』と題して、ミニと関係の深いモデルについて紹介していきます。今回は、ミニ誕生前のアレック・イシゴニスの代表作「モーリス・マイナー」と、“カニ目”の愛称で親しまれた「オースティン・ヒーレー・スプライト」について!

 

【archives】

 

 

ブックシェルフに当時のモデルを並べてみると…

 ミニの仲間として登場させたいクルマがふたつある。メーカーが販売する自動車は、いずれの1モデルだけ見ていたのでは、その立ち位置というか、ユーザー層のターゲッティングというか、どういった役割を想定されて生まれてきたのかが曇ってしまう。つまり、本棚に並べるようにモデルを配置すると、いろいろと面白いことが見えてくる、というわけだ。
 では、本題。ミニが生まれた時代、生みの親である英国のBMC社(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)で量産されていた小型サルーンが『モーリス・マイナー』だ。

 

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ミニのデビュー時のネーミングのひとつが『モーリス・ミニ・マイナー』とされたことからも、一時代を風靡した小型車だったことは想像に難くないだろう。ご存じのこととは思うが、モーリス・マイナーの設計者はアレック・イシゴニス。ミニと並ぶ彼の成功作だ。
 一方で、自動車をファンなアイテムとして身近に愉しむべきとの想いで、小型スポーツカーとして登場したのが『カニ目』である。

 

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ちろん、カニ目というのは愛称であって、正式な名前はオースティン・ヒーレー・スプライト。ミニ同様、その後のモデルチェンジがあって、そのフォルムも変化していくのだが、初代スプライトMk-Iに限って、飛び出た目玉のにあんぐりお口の顔つきからカニ目という愛称がついた。ちなみに、カニ目の呼び名はジャパンオリジナル。本国英国ではフロッグアイ、米国ではバグアイだ。月の影よろしく、カニだ、カエルだ、虫だと地域によって例えは変わるものだ…。
 さてさて、この2台の間にミニを置いてみると、なるほどユニークな関係性がわかって、いっそうミニのポジショニングが明確になるというわけだ。

 

ミニの源流ともいえるのがモーリス・マイナー

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 モーリス・マイナーは戦後間もなく1948年に生産が開始された。2ドアでスタートし、間もなく4ドアモデルが登場し、さらに「トゥアラー」と呼ばれるコンヴァーティブル・モデルが加えられた。ちょっとVWビートルにも似たスタイリングの持ち主。外観上はミニとは似ても似つかないものだ。7フィート2インチというから、2185mmのホイールベース。全長も3.7mほどだからミニよりもひと回り以上大きい。メカニズム的にも1ℓにも満たないエンジンをフロントに搭載し、リアを駆動するコンヴェンショナルなレイアウトだった。

 

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 しかし、そこには自動車設計者としてのイシゴニス・ドクトリンが強く強く生きているのである。自動車の真髄は大衆車にある。勤労階級にも手が届くクルマ、快適性や利便性を多くの人々が享受できることこそが目指すべきことだと…。そして、時代や市場性の中でイシゴニスが出したひとつの答が、後の傑作に結びついているのは間違いのないことである。
 ところで、BMCという会社はモーリスを中心とするナッフィールド・グループが、1952年にオースティンと合併して誕生した。モーリスとオースティンは各々が英国を代表するメジャー・ブランド同士。その合併劇は、例えるならトヨタと日産が一緒になったようなもの、である。
 モーリス・マイナーがモーリス・ブランドの小型車代表であるならば、ライバルであったオースティンは同時代をオースティンA30/A35で対抗した。まさにマーケットを二分し、競い合っていたのである。それが、BMCとなってひとつ傘のもとに収まってしまうのだから、当時の英国自動車産業の混乱と大英断が伺い知れる、というものだ。まぁ、それほどに海外資本の脅威があったということなのだろうけれども…。

 

 

ほぼ同時期にデビューした『カニ目』のこと

 カニ目の正式名称は前述したようにオースティン・ヒーリー・スプライト Mk-I。オースティンのメカニズムを使ってスポーツカーを企画提案したジェフリー・ヒーレーとドナルド・ヒーレー父子の名前を採って『オースティン・ヒーレー』というブランドとしたもの。人名をブランドネームとしてしまうのは、ミニにおけるクーパーと同じようなものだ。

 

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 で、1958年に登場したスプライトは、先にオースティン・ヒーレー100を発売しヒットしたのを受けて、小型入門用のスポーツカーを、と提案したものだった。オースティンA35に使われていた「Aシリーズ」エンジンをはじめとして、ギアボックス、フロント・サスペンション、またステアリングにモーリス・マイナーの部品を使って、性能はそこそこだけれど味わいはホンモノのスポーツカー、といういわゆる『ライトウェイト・スポーツカー』をつくったのだ。

 

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旧来、スポーツカーとは高級車のスペシャルティモデルとしての成り立ちだったものを、一気に大衆の域に引き下げたのだ。これは4年ほどの間に5万台近くを販売するという当時としては大ヒット作となった。

 

はてさて、本棚を眺めてみると…

 さて、このふたつのモデルを下敷きにしてみるとミニが鮮明になる。アレック・イシゴニスはマイナーなどの経験をもとに、「革新の小型車」を模索していた。室内空間を最大にしつつ外寸をコンパクトに収める、そのために思いついた数々のアイディア、そのひとつひとつが秀逸だった。
 ミニの設計にはエンジンはじめコンポーネンツはBMCの手持ちのものを利用するという制約の中で、カニ目やマイナーのシリーズII(BMC時代になってオースティンのエンジンを積んだ…)などとも同系の「Aシリーズ」エンジンをセレクトした。その優秀な原動機をさらに横置きに搭載し、ギアボックスを一体化して前輪駆動するという方式は、まさに斬新であった。二階建ての「イシゴニス式」と呼ばれるこの方式は、今でこそ主流の座は外れているものの、FWDルーツであることはミニにとって、大いに誇るべきポイントである。
 余談かもしれないが、それはソフトな部分にも及んでいる。実はミニが登場したとき、あまりに革新的過ぎて当初人々は急には馴染めなかった、という。そんな事態を予想してなのか、BMCの両代表ブランドで販売されたミニには『モーリス・ミニ・マイナー』『オースティン・セヴン』という名前が付けられた。冒頭にも記したようにマイナーの存在は偉大だった。セヴンもオースティンA30系の前、戦前の大ヒット車の名前である。もうひとつ付加えておくなら、トラべラーの名はモーリス・マイナー時代のエステート、ウッドのトリムが特徴のモデルに使われた、お馴染みのネーミングなのである。

 

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 1960年代を目前にして来たるべき未来を牽引するように、自動車を大衆のものと強烈に位置づけたモデルたち。その中核にミニがいたことを知ると、誇らしげな気持ちになる。その想いは、50年を経た今であっても変わらない。いや、むしろミニを選んだ自分を褒めてあげたい気分になる。

 

 

WRITER PROFILE

 

_GP21029田代(G)基晴(たしろ・ごーりー・もとはる) ミニより1歳年下の1960年生まれ。ミニ・フリーク誌のスタートから、はや四半世紀…、どっぷりミニ漬けの人生を過ごす。スクーバダイビングや自転車、カヌーや登山、アイスホッケーにまで手を出してきたシアワセものだ。制作全般が生業となるが、自称フォトグラファーである。現在は相模湖にスタディオを構え、趣味の伝道師を目指して精進している毎日。 会社はこちらGP・JUNOS

 

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マイナーとカニ目 〜ミニの仲間たち〜


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2016.10.25公開 / 2018.09.17更新

’60年代、黄金期のバリエーションモデル 〜ミニの仲間たち〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴氏をライターに迎えたコラムの第6弾。『ミニの仲間たち』と題して、ミニと関係の深いモデルについて紹介していきます。今回は、’60年代のミニ黄金期、英国の伝統ブランドとともに登場した「ライレー・エルフ」&「ウーズレー・ホーネット」について!

 

【archives】

 

 

大同団結BMCはさまざまなブランドの集合体

 ミニの製造元であったBMC社(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)は、1952年にモーリスを中心としたナッフィールド・グループと大オースチンとが合併して誕生した。フォードやヴォグゾールといった米国からの大資本が英国に押し寄せ、それらに対抗して、民族資本を守るために大同団結した結果である。

 

 BMCは、ナッフィールド・グループに属していたMGやウーズレー、ライレーといった、伝統的なブランドをそれぞれに大切にしていた。ウーズレー・ツール&モーターカー・カンパニーは1905年創業、ライレー・モーター・マニュファクチャリング・カンパニーは1913年スタートの老舗ブランドだ。詳細は後述しよう。

 BMCはモーリスとオースチンの大二枚看板で米国資本に立ち向かう。BMC時代のミニには当初『オースティン・セヴン』と『モーリス・ミニ・マイナー』とふたつのブランドでネーミングされ、それぞれに人気車の名前を受け継がせてデビューした。いわゆるバッヂシステムと呼ばれる方法、もちろん販売網の意向もあるのだろうが、ナショナリズムの高揚を配慮して、ブランド重視という当時の英国人の好みを反映させたものでもあった。

 

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 ところで、デビュー当初、販売が鈍かったとされるミニだが、「速いミニ」ミニ・クーパーの登場、さらにはクーパーSへの進化とともにコンペティションシーンでの活躍もあって、しだいに人気は高まっていった。その立役者となったクーパーの名は、当時F1マシンのコンストラクターとしてのポジションを築いたジョン・クーパー率いるクーパー・カー・ガレージ。

 

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レース・ブランドとして揺るぎない人気を得ていたネーミングを最大限に活用して、ミニは商業的な勝利を得るのである。これも立派なブランド戦略である。

 

 

高級ブランドの意匠をコンパクトに濃縮

 ミニがしだいに定着していった1961年10月、新たなミニが前述した伝統的ブランドとともに登場する。それは『ライレー・エルフ』と『ウーズレー・ホーネット』。

 

 まずライレー・ブランドから紹介しよう。ブルー・ダイヤモンドとされる青い菱形エンブレムのライレー社は19世紀末、コヴェントリイのライレー家によって興された由緒あるブランド。戦前にライレー・ブルックランズ9などの傑作を残している。1938年にモーリス傘下に入り、戦後も2.5・エンジン搭載のライレー・パスファインダなど、上級なサルーンにその特徴を見せていた。

 

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 そういった顧客にセカンドカー、サードカーとしてのコンパクト・ライレーを、というような狙いもあったのかもしれない。ミニをアレンジメントして、ライレー・ブランドに相応しい高級感をもたらしたのがエルフ=妖精だ。

 

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 その味付けのレシピはこうだ。まず、エンジンは当初こそノーマルだったが、ミニに先駆けて998ccエンジンを導入。ボディスタイルはリアにラゲッジ・ルーム(英国ではブートだ…)を設けた3ボックスを新造した。およそ20cmプラスのロングボディ、リアには小振りなウィングフィンが付き、専用のコンピネーションランプが装備された。

 

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ミニベースながら、もっともフォルムが特徴的(保守的…)に変化した部位。往時の乗用車は、まだまだ3ボックスが標準的だったのだ。それになんといってもインテリア。フルワイズのウッド・インパネが付き、本革シートが奢られている。外装には「デュオ・トーン」カラーが用意された。

 

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当然のことながら、内外装のカラースキームはライレー社伝統の配色を成し、ミニ・サルーンのスキームとは区別された。そうして、ライレー伝統の3ピースのフロント・グリルと『ブルー・ダイヤモンド』エンブレムが装備された。ライレー乗りには解る、上級ミニの味覚だったのだ。

 

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対するバッヂ、ウーズレー・ホーネットとは?

 ライレーもそうだが、ウーズレー・オーナーもまた、単に変わり種のミニとして乗っているのだとしたら、そのブランドが誇るべきものを『宝の持ち腐れ』状態としている。現代に残る稀少な個体なのだからなおさら、ブランドに敬意を払って欲しいものだ。ウーズレー=Wolseley、なんとも書きづらく、かつ読みにくいブランドだが、その歴史はライレーと同様19世紀にまで遡る。英国では伝統的ブランドのひとつだ。

 

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 1961年にライレー・エルフとのバッヂセールスとしてウーズレー・ホーネットのネーミングでラインアップに加えられた。ミニの上級版とされたが序列としてはライレーより少し下という位置づけ。発売当初のライレー・エルフの価格が694ポンドだったのに対して、ホーネットのそれは672ポンドの設定。ちなみにその時のミニのベーシック・サルーンは526ポンドだった。

 

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 たとえばメーターパネルはウッドで装飾されていたが、フルワイズではなく楕円形のウッドパネルがスーパーサルーン同様のオーバルメーターカウルに装着されるだけだったりと、格付けは微妙に配慮されていた。

 

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 こののちウーズレー・ホーネットはライレー・エルフとともにマイナー・チェンジする。1963年3月にはエンジンを998ccに換装して、サルーンに先駆けること4年半、Mk-IIを名乗る。1964年にはミニシリーズ全般にハイドラスティック・サスペンションが採用された。

 

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 サルーンモデルがMk-IIに進化したしたときにエルフとホーネットはMk-IIIへとチェンジする。やはり、サルーンに先駆けて巻上げ式のサイドウィンドゥ、プッシュボタン式のドアハンドル、コンシールドタイプのドアヒンジへといち早く進化した。これも、2年後にミニ全体にもたらされる、お馴染みのエクイップメントだ。

 

伝統ブランドの終焉

 ミニのひとクラス上のサルーンということで、同じ『イシゴニス式前輪駆動』を備えた「ADO16」シリーズが1962年に登場する。これもBMCらしいというか、モーリス、オースチンに加え、ライレー、ウーズレー、さらにはMG、ヴァンデンプラまで、全部で6個ものブランドで展開された。MGはスポーティを売りものに、高級サルーンのボディをつくってきたヴァンプラはカスタム路線で「小さなロールス・ロイス」と形容されるほどに、高級感を盛り込んでみせた。

 しかし、’60年代後半の英国の工業不振は切実な状況だったらしく、生き残り戦術をとらざるを得ない事態へと移行した。1967年にBMCはレイランド・グループと合併してBLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)となる。合理化への方針転換が採択され、たくさんあったブランドも、モデルも、逐次整理される方向になってしまったのである。

 1969年8月にはライレー・エルフ、ウーズレー・ホーネットともに生産終了。同時に伝統のブランドふたつがフェードアウトしてしまう。それぞれ3万1000台弱、2万8500台弱を生産した。

 

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 サルーンのミニもMk-IIIへの移行とともに、オースチンもモーリスもなく、単一ブランドのBLミニとなった。クーパー、オースチン・カントリーマン、モーリス・トラベラーもラインアップから姿を消し、’60年代の終わりとともにミニの黄金期も収束してしまうのである。

 

 

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_GP21029田代(G)基晴(たしろ・ごーりー・もとはる) ミニより1歳年下の1960年生まれ。ミニ・フリーク誌のスタートから、はや四半世紀…、どっぷりミニ漬けの人生を過ごす。スクーバダイビングや自転車、カヌーや登山、アイスホッケーにまで手を出してきたシアワセものだ。制作全般が生業となるが、自称フォトグラファーである。現在は相模湖にスタディオを構え、趣味の伝道師を目指して精進している毎日。 会社はこちらGP・JUNOS

 

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2016.10.11公開 / 2018.09.17更新

四輪駆動を夢見たミニ 〜私が出会った珍しいミニ達〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴さんをライターに迎えた新企画第5弾。歴史編の第1章に続き、第2章は田代さんがこれまでに出会った珍しいミニについてお話しいただきます。ミニ好きな方でも「そんなミニあったのか!」と驚くミニが登場します。今回は4駆のミニについて。

 

【archives】

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ミニのラインアップに四輪駆動が登場するのは…

ミニ史上初のAWD(全輪駆動車、日本流にいえば四駆…か)の登場はたしか2011年のことだったと思う。日本名クロスオーバー、欧米各国ではカントリーマン(日本では商標が抵触するために「クロスオーバー」と改名、いろいろ話したいこともあるのだけれど…、まぁ別の機会に)として販売されたモデルのグレードにラインアップされたのだ。新型ミニの4番目のモデルが4ドアになって4駆もあって全長が4メートルを超えたとあっては…、なんともはや。No.4は悪魔の数字かと思ったものだ…。

 

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 冗談はさておき、『ミニ』を名乗るジェネラルモデルに初めて搭載されたAWDのシステムは、車輌開発の実力もトップクラスと評されるマグナ・シュタイアの手によるもの。『ALL4』と名付けられたフルタイム全輪駆動は「本格派オフローダー」といっても良いほどで、驚くほどに本気の作品。正直にビックリしたことを少しだけ話させてもらう。システムはリア・ディファレンシャルの前に湿式多板電磁クラッチを設置。電子制御で駆動力配分を無段階で行うもので、駆動力の配分比率は路面状況に応じて連続的に変えるようになっている。フルタイムAWDといいながら、走行状況に応じて前後輪それぞれが0%から100%まで自在に駆動力を配分すると聞いた。運転者が気付かない程度のごく軽微な前輪の空転に対しても0.1秒という反応速度で即座に対応する。これを本気といわずしてなんとする、である。ミニ生誕から半世紀を超え、ようやく登場したAWD、まさに隔世の感であった…。

 

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とはいうものの、ミニ開発の歴史の中にもAWDへの憧れというか、必要性とするのか…、いずれにしてもいくつもトライした形跡はある。今回はそのアプローチを探ってみる。

 

ハイパワーAWDコンストラクション、トゥイニ

まず初めは『トゥイニ=Twini』だ。この名を聞けばおおよそ想像が付くと思うけれども「4つのタイヤを動かすためにエンジンをふたつ積んでしまえ!」という超乱暴短絡思考のシロ物である。ミニの過去を記した文献にも登場しているので知っている方も多かろう。ツイン・エンジンのミニを歴史的に紐解いてみると、1963年頃にBMCが試験的に作ったとされる資料が多い。レースへの参戦記録もあり、当時のコンペティション・デパートメントが競技マシンとして開発に携わっていた節もある。どうやら、ジョン・クーパーもプライベートで試作していたと聞く。一方ではモークをベースにツイン・エンジンを製作した記録もあり、これは明らかに軍用納品を狙ったトライアルなのだろう。モークがAWDでないことは評価的には大きなマイナスポイントだったからだ。
 資料をドサドサとひっくり返せばいろいろなことが発見できるのであろうが、ここでは実際に見聞きしたことをエピソードとして紹介したいと思う。自身、思い出深い話なので暫しお付き合いのほどを。

 トゥイニの現車を見たのは1992年頃のことだと思う。大阪のスペシャルショップが輸入した車輌だった。パッと見た風体ではクーパーSそのもので、往時はどういった経緯、どのような目的で製作されたのかが今ひとつ明確にならないで悩んだ。もともとはプロトタイプとして作ったものらしく、設計図に基づいてレストレーションされた車輌だった。

 

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 一般的な発想のAWDであれば、トランスファギアボックスを設けて前後にプロペラシャフトを使って動力分配、ディファレンシャルを前後に装備してロードホイールを駆動するのが常套手段となる。しかし、ミニにはそんなスペースがないと判断したのか、完結しているミニのパワーユニット(エンジン、ギアボックス、そしてサスペンション、タイヤがサブフレームに全て装着されているのだ…)を前後で2個使えば機構も簡単、出力は二倍と思ってしまったのか…、その本当の本意の部分は定かではないけれども、なんとも思い切ったことをしたものである。

 

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 メーターパネルにスピードメータはひとつであるものの、レブカウンタ、油圧計、水温計はふたつずつ。回転数がシンクロしていないのが、妙に愉快だったと記憶している。ギアチェンジレバーは驚いたことにパイプで前後のギアボックスのアームを連結しているだけ。実に簡素だが、まぁ充分といえば充分。ただ、やたら重かった。

 

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 本来ならリアシートのあるべきところにエンジン。シートに金属の箱が置かれるがごとくカバーが作られている。冷却サーキットもラジエータも前後別。サイドシルに付いたリアエンジン冷却用のエアスクープが印象的だった。ついでにエキゾーストも別で、サイレンサが二段積みだったような気がする…。その姿に感心はするものの、「もっと、頑張りましょう!」的な印象だった。

 

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 走ってみるとこれまたビックリ。あまりインプレッションは得意ではないのだが、前で引っ張り、後ろから押される、ミニらしくないパワーに慌てた。考えてみればクーパーSの1275cc、ツインキャブのエンジンがふたつ付いているのだから力強いのもあたりまえだ。足まわりがどうのこうのいう前に、笑ってしまうほど楽しかった。

 

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 そう、このミニは総排気量が2550cc。登録は3ナンバーだった。

 

開発コードADO19、プロトタイプ名はアント

もうひとつのAWD。これも最終的には市販モデルとはならなかった残念なモデル。歴史に埋もれてしまったが、その実は名車だと固く信じているクルマだ。ADO19というオースチンの開発ナンバーが与えられて、最終試走段階のプロトタイプまでできていた。その名は『アント』、蟻である。

 

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 アントは明らかにミニの兄弟車だ。その根拠はミニと同型のAタイプエンジンを使っていることと、アレック・イシゴニスが開発したこと。この2点があれば充分だ。量産直前まで辿り着きながら、悲劇の結果になってしまったのは、当時の会社の状況によるものだ。ランドローバー・ブランドを傘下に持つことになったメーカーは、当時ランドローバーが生産していたショートホイールベースのモデルを継続する意向で、開発最終段階に達していたADO19、アントをお蔵入りにしてしまったのだ。排気量やボディサイズなどは、現実的には大きく異なっていたけれども、同セグメントで2バリエーションを販売する体力もメリットもなかったということなのだろう。ミニのエバンジェリストとしては、全くもって残念な経緯である。
最終段階で生産された車輌は3〜4台といわれている。その一台が我が国で登録されていた。現車を取材しながら、コンパクトAWDとして実に良くできていると感心することしきりだったのである(天才サー・アレック・イシゴニスの設計と知り、贔屓目なのは否めないが…)。その独自の全輪駆動車の機構を覗いてみることにしよう。

 

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 やはり、最初に記しておきたいのは、前後のロードホイールを駆動するメカニズムだ。エンジン(いわゆる腰うえといわれる部分)はミニと同様で、クラッチハウジングをサイドに持つ横置きである。排気量は1098ccのプロトタイプから最終的には1275ccを採用した。大きく異なるのはギアボックス。変速ギア、前輪のディファレンシャルに加えて、ハイ、ロー2段のトランスファギアとセンターディファレンシャルギアを持ち、後輪に動力を伝えるプロペラシャフトが設置される。後輪側はディファレンシャルギアボックスから等速ジョイントを装備したドライブシャフトが伸びる。近年は横置きFFベースのAWDも一般的な機構となっているものの、その始祖はこんなところにあったのである。アントが世に出ていれば、この機構はミニのデビューと並ぶセンセーショナルは製品となったに違いない。

 

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 サスペンション・スプリングは前後共にトーションバーを用いている。ラバーコーンでないのが残念なのだが、悪路の走破性を考慮してサスペンションのストロークを大きく確保するための設計なのは明らかだ。フロント側は車軸と直行する2本、リア側はラジアスアームを連結する形で車軸と平行するトーションバーが装備されていた。アームを長く確保し、ソフトレートで長いストロークを得る設計だ。
 今となっては貴重な歴史のいちモデルであるが、アントが市販されていたらどれだけ多くのファンを獲得できたのだろうと思う。チャンスがあれば、今でも入手したいマシンである。

 

AWDをテーマに少しばかり長い文章になってしまい申し訳ない。ミニのヒストリーの中には、こういったプロトタイプが存在していたことを記憶にとどめていただければ、と思う。実はもうひとつ、スズキのジムニー(もちろん軽のAWD、名車だ)をベースにミニのボディを装着…、というか被せてしまったクルマも紹介したかったのだが、スペースがなくなってしまった。日英両方で存在したので、また機会を得て紹介したいと思う。これがまた実にユニークなのだ。

お楽しみに。

 

 

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_GP21029田代(G)基晴(たしろ・ごーりー・もとはる) ミニより1歳年下の1960年生まれ。ミニ・フリーク誌のスタートから、はや四半世紀…、どっぷりミニ漬けの人生を過ごす。スクーバダイビングや自転車、カヌーや登山、アイスホッケーにまで手を出してきたシアワセものだ。制作全般が生業となるが、自称フォトグラファーである。現在は相模湖にスタディオを構え、趣味の伝道師を目指して精進している毎日。 会社はこちらGP・JUNOS

 

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2016.09.20公開 / 2018.09.17更新

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元ミニフリーク編集長 田代基晴さんをライターに迎えた新企画 第4回。エボリューションモデル、1300ccエンジンの復活や日本独自の仕様となった最終モデルから生産終了まで。ミニの歴史シリーズは今回で最終回です!完全保存版!

 

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ローバー・グループとしての新たな船出

 極東の島国。しかも自国の屋台骨となるような基幹産業に、驚異の急成長を遂げて世界に冠たる自動車産業が存在する。その製品の完成度の高さもさることながら、消費層がもつ独自の価値観と製品に対する要求度の高さは、この国特有のものがあるがゆえに、輸入車が根付くには大きな垣根がある。そんな奇怪な国で、驚いたことにミニは爆発的なヒットを迎えてしまうのである。’80年代後半のことだ。

 

4-1-1_DSC_2636 (499x750)1986年にBLMCはローバー・グループとなる。半官半民だったBLのオースチン・ローバーやランドローバー、レイランド・トラックなどのBL傘下のグループが完全国営化されたのだ。伝統と共に存在していたオースチンやモーリス、ライレーやウーズレイ、ヒーリー、トライアンフといったブランドは消滅し、ジャガーやレイランドなどは売却。MG、ランドローバー、そしてローバーのみが残った。ゆえに、日本国内でミニがエクスプロージョンしたときの車名はローバー・ミニとなるのだけれども、我が国にあってもクーパーの浸透度は高かったようで、名称として広く一般的に認知されていたのはミニ・クーパーの方だった。まぁ、おばさんたちに「あら、ミニ・クーパー。カワイイ自動車ね…」と言われると、いちいち訂正するのも面倒になる。体勢に影響なしだ。もっともその状況は時を経た現在であっても、さして違ってはいないのだが…。

 

エボリューション・ミニが、’90年代を切り開く

日本独自のアプローチとしてレーシング(グリーン)、フレイム(レッド)、チェックメイト(ブラック)をラインアップしたクラブマンシリーズの展開で幕を開けた’90年代。前年、1989年のミニ世界販売台数はおよそ4万台だったのだが、実にその25%となる1万台近くが日本の販売台数となり、本国英国の1万3千台に次ぐ台数を記録した。’70年代を経て、’80年代に入り下降の一途を辿っていたミニの生産台数が’87年を堺に’90年代に向けて上昇に転じたのは、日本でのミニ人気がその要因なのは明らかだ。

 

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そうした風向きの中で、1990年10月にミニは大きなトピックを発信する。そのひとつが『ERA TURBO』、そしてもうひとつが『COOPER』である。言わずもがな、クーパーはミニのエボリューション・モデルとして確固たる地位と名声を築いてきた。ERAターボに至っては、その開発コンセプトが「パフォーマンス、コンフォート、ハンドリングを現代水準にまで引き上げた’90年代のミニ・クーパー」としていた。

 

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奇しくも’90年代を迎えた同時期に、ハイポテンシャル・モデルを異なるアプローチから具現化した、ふたつのプロジェクトがお披露目されたのである。知名度や本流との距離感に分があるクーパー・モデルにその後の流れは集中していくものの、この時期にミニ史上初となったターボモデルがラインアップされたことは特筆に値する。当時、ターボモデルはフレイムレッド、ブリティッシュレーシンググリーン、ブラック、そしてごく少数のホワイトダイヤモンドの4色(資料によるとシルバーもあるようだが、ブロウシャには記載されていない…)、500台弱が生産されたという。日本にはその中から赤と緑の2色のみではあるものの、実に約330台が正規輸入されたのである。

 

1300ccエンジンが、ミニのラインアップに帰ってきた

さて、ミニ・クーパー。’69年を最後に生産を終えたクーパーモデルが実に20年ぶりに復活したのである。’80年の1275GTの生産終了以降途絶えていた1300ccのエンジンが、ミニのラインアップに帰ってきた。当然のことながらクーパーの復活にはジョン・クーパーの存在を忘れることはできない。クーパーモデルの生みの親であるから、その存在は欠くべきものでないのは当然のことなのではあるが、その復活には我が国日本のミニ人気も大きく関わっているのは間違いないのである。

’80年代後半、日本でのミニ販売数が着実に伸びていることを背景に、ジョン・クーパーを始め、多くの人間がエボリューションモデルの復活をメーカーにアピールしたという。しかし、簡単にはことは進まず、先行して日本国内でクーパー・パフォーマンス・コンバージョン・キットが個別に販売されたのである。そのパッケージは木箱に収納され実に魅力的だった。

 

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日本ではミニマルヤマがリリースした。日本での好調な売れ行き、そしてジョン・クーパーのアプローチの結果、本国ではまず、メーカー承認のディーラーオプション・チューニングキットとして、当時のレーシング/フレイムのブロウシャ(本国版である…)に記載。そしてついに、限定モデル生産へと歩を進めて、ミニ・クーパーは復活を果たすのである。

 

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ミニ・クーパー1.3の生産数は1000台。そのうち600台が日本での販売枠だった。発表するやいなや、予約が殺到し、発売日前に全てが売り切れた。

この好調な販売はミニ1.3時代の幕開けだった。限定クーパーの発売日からおよそ1ヶ月半後、ローバー・ミニ・クーパー1.3は量産モデルとして販売されるのである。往時のミニ・ラインアップはクーパーを含めて6車種。当時の広報資料ではラグジュアリーモデルの『メイフェアII』、ファッショナブルモデル『メイフェア』、ベーシックモデルに『スプライト』、スポーティモデルとしてホワイトルーフの『クラブマン』、そしてスペシャルなアーバンスポーツ『ERAターボ』とカテゴライズされていた。’80年代とはうって変わった華やかさである。’90年代の幕開け、それは日本のマーケットがミニを支えていた。1990年、日本でのミニの販売数は1万3千台。本国の販売数を超えるという、驚きの数字だった。

 

純日本仕様の’97モデル、ミニの愉しさを育てていこう

冷静に考えれば、いくら東洋の一国で好調な販売を記録していたとはいえ、ミニのためだけに開発が行われる道理がない。現実的には、ERAターボ、クーパー共に当時のメトロ、メトロターボに装備されていた部品を流用することで成立したのである。べつに悲観することではなく、’80年代を通じてミニが残ったことと、メトロによってメーカーが息を吹き返して永らえたことが最大のラッキーだったのだと思う。

そうしてミニは、1991年10月にシングルポイント・フューエルインジェクションと三元触媒を装備して新たなるステージに進化し、1.3iモデルが主軸になった。もちろん、原資はメトロのパワーユニット、厳しくなる排気ガス規制への適応もクリアし、さらにミニは永らえるのである。

 

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1997年、いよいよ次世代ミニの情報が巷に流れ始めた頃、驚いたことにミニは、さらなるビッグマイナーチェンジともいえる進化を成す。いわゆる最終モデルと呼ばれるシリーズだ。ここでトピックとしたいのは、ミニの40年にわたる歴史の中で初めて日本独自の仕様が設定されたことだ。つまり、本国で販売されたミニと日本で販売されたミニは別ものなのである。

 

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欧州仕様はマルチポイントインジェクションとなりマネージメントも進化した。長らく横置きだったラジエータが前面配置となり、エンジン自体の設計も変更されたのである。が、日本ではオートマチックトランスミッションとクーラーの標準装備を最優先事項としたことから、シングルポイントインジェクションをキャリーオーバーして、日本独自のエンジンマネージメントとなった。

 

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生産終了が秒読み段階になった’97年に、どうして大々的な改変を施してまで生産時期を延長することになったのかは、いまだに解せない。勝手な想像をしてしまえば、新型に引き継ぐまで、ミニの生産を一時たりとも途絶えさせたくなかった。販路を継続的に確保することや50周年イベントを大々的に行ったことを思えば、あながち間違っていないと思う。いや、おかげでたくさんのオーナーが楽しい思いをしていることは間違いのないことで、ミニのラッキーなヒストリーとして甘受すべきなのだろう。

 

2019年はミニ生誕60周年、いったい何が起こるのか、今から楽しみではある。

とはいえ、すでに生産を終えてから15年以上の時を経て、ミニは名実ともにクラシックカーになった。確かに乗り続けるために多少の覚悟は必要だとは思うが、こんなに多くの仲間がいて、維持しやすい環境や遊べる場に恵まれたクルマは他にない。

ミニを大好きになってしまったボクらは、とてもラッキーな趣味人なのだと思う。

 

 

WRITER PROFILE

 

_GP21029田代(G)基晴(たしろ・ごーりー・もとはる) ミニより1歳年下の1960年生まれ。ミニ・フリーク誌のスタートから、はや四半世紀…、どっぷりミニ漬けの人生を過ごす。スクーバダイビングや自転車、カヌーや登山、アイスホッケーにまで手を出してきたシアワセものだ。制作全般が生業となるが、自称フォトグラファーである。現在は相模湖にスタディオを構え、趣味の伝道師を目指して精進している毎日。 会社はこちらGP・JUNOS

 

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2016.09.13公開 / 2018.09.17更新

日本マーケットの人気高騰で息を吹き返した<’80年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴さんをライターに迎えた新企画 第3回。クラブマンシリーズ生産中止の背景や、1984年からの限定車ラッシュ。そして日本のミニブームのきっかけとなった意外なあのクルマの話まで!?今回はそんな80年代のお話です。

 

【archives】

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どうしてオリジナルスタイルのミニが残ったのか

’70年代から’80年代にかけてのミニには、歴史的に特筆するような出来事はない。いや、あえて言うならば、いつモデルが終了してもおかしくないような状況で生産が続いたことが最大のトピックなのかも知れない。

 

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’70年代の間、次世代のミニとしてセールスされたクラブマン、クラブマンエステート、そして1275GTも結局は生産は継続されずに’80年にその生産を終える。狙ったようにミニを代替わりをさせることができなかったメーカーが、往時にどのような決断をしたのかは定かではない。普通に考えれば併売だったとはいえ、フェイスリフトしたクラブマンシリーズが撤退するとなれば、ミニの生産自体が終了してもおかしくはない。しかし、ミニの販売は継続した。

 

当時現場に携わっていた人間から言質を得たわけではないので、あくまで想定の範囲なのだが、当然のことながら自動車メーカーとしては、コンパクトなクルマを商品ラインアップから外すわけにはいかない。逼迫する経営状態の中でどのような戦略を練るかは重大だ。後に記すが、往時メーカーは新たなモデルラインアップを送り出す。とはいえ、ワンモデルに絞り込むのは冒険だし、すでに投資回収したモデルが現存しているではないか。

 

状況は既存モデルを継続、あってもわずかな改良程度で世に送り出すしか方法はなかった。となれば、ミニとクラブマンを天秤に掛けて、継続販売の可能性などの条件で採択するしかない。而して、ミニは継続し、オリジナルフォルムがを再び主軸へと返り咲いた。

想像の域を出ず、当然紆余曲折があったのだろうが、結果的にミニの生産が終わらなかったこと、それが最大のトピックであり、今ミニを愉しむ我々は、往時メーカーが、生産を続ける決定を下したことに感謝しなければならない。

 

 

消し去るには惜しいが、風前の灯火…、それがミニだった

とはいえ、’80年代はミニにとって不毛な時代だ。華やかだった’60年代が嘘のようである。ミニのラインアップは998cc、いわゆるミニ1000だけになる。

モデルは6種、「ミニ・シティ(1980~82)」「ミニ・シティE(1982~88)」「ミニ1000HL(1980~82)」「ミニ1000HLエステート(1980~82)」「ミニ1000HLE(1982)」「ミニ・メイフェア(1982~92)」。

’80年に生産を終えたクラブマンエステートは姿はほとんどそのままでバッジだけ換えたミニ1000HLエステートとして2年間生産されていた。他のサルーンモデルにも当時クラブマンシリーズで使っていたパーツの多くが流用されていた。ひとつのモデルの終焉というのは、もの悲しいのである。

 

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1982年、ミニのメーカーはオースチン・ローバー・グループとなった。メーカーはニューモデルを作ることさえままならない体力のなさを補うために、なかなかユニークな戦略を練る。極めて少量な投資でミニを古臭くしない方法である。マイナーチェンジと特別仕様限定車連発作戦だ。マイナーチェンジは自動車メーカーとしては至極まっとうな方法ではあるが、同時にネーミングやほんの少しだけ装飾を施して意匠を変えるという飛び道具を放ったのである。

 

 

生誕25周年、時代に即した進化を得る

’80年代半ば、1984年にミニは変革を迎える。フロントディスクブレーキを採用し、12インチのロードホイールへと進化した。世の交通事情が高速化し、交通量が増加を続けることへの適応策だ。同時に25周年のアニバーサリーモデルとして「ミニ25」を発売する。シルバージュビリーよろしく、ボディカラーはシルバーだ。

 

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そしてこの限定モデル、ミニ25を皮切りに、以降はその年限り…、いや半年ペースで特別限定車が発売されることになる。実にボディカラーや内装、車名に応じた専用のマーキング程度の違いしかなかったけれども、「限定」という販売戦略は魅力的に映ったようで、それなりに多くの購買意欲を煽ったと言えよう。

ミニ25以後は、「’85年 リッツ」「’86年 チェルシー」「’86年 ピカデリー」「’87年 パークレーン」「’87年 アドバンテージ」「’88年 レッド・ホット/ジェット・ブラック」「’88年 レーシング/フレイム」「’89 ローズ/スカイ」「’89 サーティ」…、まさに百花繚乱である。1990年になるとレーシング(グリーン)とフレイム(レッド)、そしてチェックメイト(ブラック)を日本独自のシリーズ名称として「ミニ・クラブマン」と呼んだ。少々ややこしい名付けではあるのだが、ミニファンに向けたアプローチではなく、時のインポータが、日本国内でにわかに人気が高まってきたミニの販売戦略として、ホワイトルーフ・デュオトーンのスポーティでお洒落なイメージを、広く一般市場に向けて打ち出したのである。

 

「’85年 リッツ」

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「’86年 チェルシー」

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「’86年 ピカデリー」

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「’87年 パークレーン」

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「’87年 アドバンテージ」

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「’88年 レッド・ホット/ジェット・ブラック」

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「’88年 レーシング/フレイム」

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「’89 ローズ/スカイ」

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「’89 サーティ」

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東洋の島国、日本でミニの人気が爆発した

1982年から日本国内でのセールスはオースチン・ローバー・ジャパンがインポータとなって進められるようになった。’80年代中盤までは年間1千数百台程度の販売数だったものが、’87年にダブルスコアへと飛躍的にジャンプする。’80年代終盤、東洋の島国でミニの人気がエクスプロージョンしたのである。

と、ここで締めてしまった方がドラマティックなのだが、ミニ・ブーム到来の切っ掛けの話を少し…。

 

1987年は日産自動車がBe-1(ビー・ワン)を発売した年。奇しくもマーチの限定車だったビー・ワンの人気が爆発的に大きくなり、多くのジャーナリストがそのフォルムを『ミニのようだ』と評した。限定車で買えないビー・ワンの代わりといっては寂しい話だが、オリジナル・デザインともいえるミニに火が付いた、というわけだ。

まぁ、その端緒はどうあれ、迎える’90年代のミニ・マーケットは、我が国日本のミニファンが、強く支えることになるのである。

 

’80年代初頭のミニを取り巻くシーンを考察する

DSC_2382話題は時を少し戻しつつ、ミニからは少し離れるのだが、クラブマンシリーズが終了した1980年に代替えするように登場したニューモデルは、オースチン・メトロである。当初ADO88のコードナンバーでミニの後継車開発のためのプロジェクトとしてあったものが、その役を離れ、新たなラインとして独自のプロジェクトとなった。ミニを残しつつも、当時主流となってきたコンパクトカー製品群に、さらに厚みを付けるためだ。メトロには998ccと1,275ccのエンジンが搭載された。前輪駆動や4速トランスミッション、そしてサスペンションの構成を含めて、ミニの機構がそのまま採用され、受け継がれたことになる。ただ、用いられるスプリングはラバーコーン、ハイドロラスティックから進化した「ハイドラガス」が装備された。後のMGFにも装着されたハイドラガスはドクター・アレックス・モウルトンが開発した関連懸架システムだ。

 

危機的な経済状況にあったBLとしては、起死回生の一撃を祈ったに違いない。要するに、ミニをフェイスリフトした程度のクラブマンシリーズでは役不足で、もうひと息、フォルムやインテリアが進化したモデルが必要だったということなのだろう。メトロの日本での人気は今ひとつだったが、MGブランドへの展開やターボモデルの生産、そして後のローバー100シリーズへの道筋を作り、ヨーロッパ市場的には成功を収めたモデルと言える。’80年代中盤にはメトロベースのグループBマシンを作ってしまうのだから、救世主ぶりは推して知るべしだ。ちなみに、このグループB車輌、MG・メトロ6R4は、ホモロゲーションのためのロードバージョン名称にクラブマンを予定していたらしい。実現はしなかったようだが、ネームの継承とは、なんとも英国らしいエピソードである。それがために、遠く日本でクラブマンの呼称が復活したのだろうか…。

 

それはともかく、実のところこの’80年代のメトロの存在が、後のミニに大きな影響を与えるのである。 

 

 

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2016.09.06公開 / 2018.09.17更新

合理化と発展<’70年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴さんをライターに迎えた新企画 第2回。前回では「黄金時代」といわれた、誕生からの60年代のお話でしたが、今回はその後の変化の時代となった70年代について。クラブマンシリーズの登場や最終モデルへと繋がるMk-IIIモデルの登場など、今回も目が離せません!

 

【archive】

ミニ誕生から黄金時代<’60年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

 

 

ミニは未来を模索していた

バリエーションにしても、コンペティションシーンでの活躍にせよ、黄金の時代とも呼べる’60年代を経て1970年代、状況は一変し、ミニはその存続を模索していた。’70年代に向けて当時のメーカーBLMCが行ったことはブランドの一本化やニューモデルの追加とともに、デビュー以来のラインアップ大幅見直しである。

 

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その背景には、英国産業全体の不振があった。収益の低下には抗えず、合理化を含めた改革を果たさざるを得なくなったのである。メーカーは’70年10月にコンペティション・デパートメントを閉鎖、スペシャルチューン部門は存続したものの、伝説ともいわれる数々の誇るべきレコードを残したラリーシーンから、ついにワークスミニが撤退した。

 

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モダンと合理化、荒波に揉まれ移ろっていく

従来からのミニはサルーンだけのラインアップに集約された。華やかだった製品群が一気に減速してしまう。オースチン、モーリスの歴史的なブランドもついに統合され、ミニのブランディングはBLだけとなってしまったのである。19世紀に誕生した伝統的なライレーやウーズレイといったブランドも’60年代を最後に姿を消すことになる。  

 

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しばらくの間は輸出モデルにだけオースチンやモーリスを示すバッヂが付けられていたが、それは各国の販売形態に対する考慮や急激な販売方針転換のネガティブイメージの緩衝策でしかなかった。  

 

そうしてミニはMk-IIIへ

ボディパネルが大幅に見直され設計変更されたことから、開発コードはADO20とされた。今でこそいえることだが、最終モデルへと連なる直系のボディタイプである。

 

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この時代の変化はビッグマイナーチェンジとして良いと思う。Mk-IIからの変換点はバッヂ類、フロントグリルの形状に加えて、先に話したように随所のボディパネルが変わっている。

 

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その最たるものは、ライレー/ウーズレイが先行して装備していたワィンドアップ式のサイドウィンドゥを採用したことで、ドアパネルが袋構造になった。同時に、その増加した重量に対応するためにスカットルパネルの強化と併せて、ドアヒンジは保持力を高めたコンシールド(内蔵)タイプへと変更された。視野を広げたリアウィンドゥ、視認性を高めた角形テールランプのリアパネルはMk-IIからのキャリーオーバーだったが、ドアに始まる多くのボディパネルがMk-IIIモデルで変更され、モダンなスタイルへと変容しているのである。  

英国流儀で言えば「新しいものは良くなっている」としたいところなのだが、冒頭にも記したように合理化を考慮した変革ゆえに、必ずしも全てが諸手を挙げて受け入れられるわけじゃない。例えば、ドアの内側。窓の巻き上げ機構を収納するために、旧来のモデルと較べて10cm以上も車室内の横幅が狭くなった。無造作にものを突っ込んでもゆとりで応える大型ドアポケットもなくなった。確かに、ドアスキン1枚では側突の基準などクリアのしようがないだろうけれども、残念ながら、狭さを感じさせない秀逸なミニのインテリアは’60年代で姿を消してしまったのである。  

 

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細かい言及はしないけれども、ギアボックスの形状も簡素化されて、エンジンのマウンティングがスポイルされてしまった事実もある。エンジンの揺れが、いまだにミニのウィークポイントだと語り継がれるのは、そのせいだ。

 

黄金にはなり得なかったが、健闘したクラブマンシリーズ

合理化と改善の狭間でその波に翻弄されながらも、健気にミニは進化していく。ボディタイプをMk-IIIとするのと時を同じくして、新たにフェイスリフトしたクラブマンシリーズを登場させるのである。

 

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旧来モデルとの併売とし、モデルバリエーションを増やす方向でスタートしたとは言え、メーカーBLMCはかなりの期待度を持ってこの世代交代に望んだのは間違いないだろう。フロントフェイスのデザインはフォードのクルマを手掛けていたデザイナ、ロイ・ヘインズを起用。Mk-IIサルーンに採用していたハイドロラスティック・サスペンションをクラブマンシリーズのサルーンのみの装着にしてみたり、エステートボディもクラブマンシリーズで存続させる。また、クーパーに代わるスポーツモデルとして1275ccにスープアップしたシングルキャブレータのエンジンを搭載した1275GTをラインアップするといった念の入れようだ。販売の策略を練り、’70年代ミニの新たなる幕開けを狙っていたのは間違いない。

 

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が、結果的にはニューフェイスを期待されたクラブマン、エステート、1275GTは’80年にその生産を終了してしまう。11年間の販売で、それなりの販売台数を記したとは言え、当時は歴史に名を残す存在にはなり得なかった。ミニのルックスは、やはりオリジナルデザインの丸っこい佇まいに軍配が上がることになる。

 

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言わば、先代モデルに駆逐されてしまったクラブマンシリーズ、新世代への移行を期待し10年を掛けた販売戦略もBLMCにとっては皮肉な結果となってしまったが、ミニの底力を証明することになったのである。もっとも、この時点でミニの販売を終わらせなかったメーカーには、未来の我々から最大級の賛辞を贈りたい気持ちである。

 

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もちろん、クラブマンファンが皆無なわけではなく、ミニシリーズの生産終了を機に、絶版モデルとして歴史的なポジションから見直されたことも事実だ。とくに、エステートモデルは製造年が新しいだけに注目度は高いし、実際のところ、クラブマンシリーズ終了の後もミニ1000HLエステートとして2年間は継続販売した事実もある。個人的にはボディフォルムも秀逸だと思っている。

 

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サルーンボディとは、また違ったストーリーを歩んだモデルが’70年代に生まれたことは記憶にとどめておきたいものである。 

 

 

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2016.05.31公開 / 2018.12.13更新

ローバーミニ納車点検整備 S様のクーパー40th anniversary LTD

5月3台目の納車整備完成車は、ブルックランズグリーンのクーパー40th アニバーサリー LTD(MT)!

 

実は今回の納車整備に対するイールからの指示は、昨年ガッツリ納車整備を行ない一度販売した車両という事と走行距離も伸びていないという事で、エンジンオイル交換のみ!という珍しいものでした。

 

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通常イールメーカースではエンジンオイル交換でご入庫時、主にオイルを抜いている間、日常点検を実施しております。それに従い今回の主な作業内容は下記の通りです。

 

★エンジンオイル交換

エンジンオイル&フィルター交換

★日常点検

灯火装置点検

タイヤエアー点検ホイールナット締付

サイドブレーキ引き代点検

各油脂類点検

ファンベルト点検

バッテリー点検

ワイパー&ウォッシャー点検

警告灯&計器類点検

クーラー点検

★その他

グリッアップ実施

★検査

走行テスト&完成検査

 

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S様、この度はiRでご購入頂きまして誠に有難う御座いました。

 

参考までにですが、前回の納車整備時の交換部品は下記の画像の通りです!

まだまだ鮮度を保っておりますのでご安心下さい!!

 

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2016.05.29公開 / 2018.12.13更新

ローバーミニ納車点検整備 N様のクーパー

5月2台目の納車整備完成車は、オールドイングリッシュホワイトのクーパー(MT)!

メーカースで10年以上の整備歴があるミニなので、今回は久し振りに作業がサクサク進みました♪

 

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今回、ATのメイフェアからMTのクーパーにお乗換えのN様!

それまでのメイフェアに装着されていたiRマフラーもクーパーに乗り換え?引き続き活躍してもらいます!!

 

 

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今回の主な整備内容は下記の通りです。

 

★点検整備

24ヶ月点検整備一式

★動力系統

エンジン制御システム点検(診断機使用)

バルブクリアランス&ステッパーポジション調整

ロッカーカバーガスケット&シールブッシュ交換

エンジンオイル&フィルター交換

スパークプラグ交換

エアーフィルター交換

プレッシャーセンサーバキュームパイプ2本交換

フューエルフィルター交換

サーモスタット&冷却水交換

アッパートルクロッドブラケット溶接修理ブッシュ交換

★動力伝達系統

クラッチスレーブシリンダーインナーキット交換

クラッチフルード交換

★足回り系統

テンションロッドブッシュ&ロアアームブッシュ交換

左右スイベルボールジョイント調整

左右フロントホイールベアリングオーバーホール

各グリスアップポイント給油

★ブレーキ系統

リヤブレーキホイールシリンダーASSY交換

ブレーキフルード交換エア抜き

リヤブレーキ&サイドブレーキ調整

★電気系統その他

非常信号器具交換

バッテリー交換

エンジンアースケーブル交換

ヘッドライトバルブ交換

ワイパーブレード交換

SRSロータリーカプラー交換

クーラーサーモアンプ交換

フロントナンバーステー交換

フロントガラス&モール交換

各可動部給油&締付け

★ご依頼作業

リヤマフラー前車と入換え

ETC取付

スイッチパネルイルミネーションキット取付

フィットギアシフトレバー&ジョイントマスター取付

★検査

下回り中間検査

走行テスト&完成検査

 

 

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ご依頼頂いたマニュアルのシフト動作を快適にしてくれるフィットギアシフトレバー! そして夜間のスイッチ操作を助けてくれるスイッチパネルイルミネーション!!これで久し振りのMT車でも、昼夜ともに快適操作で運転楽々です。

 

N様、この度はiRでご購入頂きまして誠に有難う御座いました。

マニュアルシフトならではの世界をお楽しみ下さい♪