MINI BLOG

2016.10.11公開 / 2018.09.17更新

四輪駆動を夢見たミニ 〜私が出会った珍しいミニ達〜

田代さんサムネ画像

 

元ミニフリーク編集長 田代基晴さんをライターに迎えた新企画第5弾。歴史編の第1章に続き、第2章は田代さんがこれまでに出会った珍しいミニについてお話しいただきます。ミニ好きな方でも「そんなミニあったのか!」と驚くミニが登場します。今回は4駆のミニについて。

 

【archives】

ミニ誕生から黄金時代<’60年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

合理化と発展<’70年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

日本マーケットの人気高騰で息を吹き返した<’80年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

新たなステージ、エボ・モデルの復活<’90年代> 〜ミニの歴史と時代背景〜

 

 

ミニのラインアップに四輪駆動が登場するのは…

ミニ史上初のAWD(全輪駆動車、日本流にいえば四駆…か)の登場はたしか2011年のことだったと思う。日本名クロスオーバー、欧米各国ではカントリーマン(日本では商標が抵触するために「クロスオーバー」と改名、いろいろ話したいこともあるのだけれど…、まぁ別の機会に)として販売されたモデルのグレードにラインアップされたのだ。新型ミニの4番目のモデルが4ドアになって4駆もあって全長が4メートルを超えたとあっては…、なんともはや。No.4は悪魔の数字かと思ったものだ…。

 

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 冗談はさておき、『ミニ』を名乗るジェネラルモデルに初めて搭載されたAWDのシステムは、車輌開発の実力もトップクラスと評されるマグナ・シュタイアの手によるもの。『ALL4』と名付けられたフルタイム全輪駆動は「本格派オフローダー」といっても良いほどで、驚くほどに本気の作品。正直にビックリしたことを少しだけ話させてもらう。システムはリア・ディファレンシャルの前に湿式多板電磁クラッチを設置。電子制御で駆動力配分を無段階で行うもので、駆動力の配分比率は路面状況に応じて連続的に変えるようになっている。フルタイムAWDといいながら、走行状況に応じて前後輪それぞれが0%から100%まで自在に駆動力を配分すると聞いた。運転者が気付かない程度のごく軽微な前輪の空転に対しても0.1秒という反応速度で即座に対応する。これを本気といわずしてなんとする、である。ミニ生誕から半世紀を超え、ようやく登場したAWD、まさに隔世の感であった…。

 

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とはいうものの、ミニ開発の歴史の中にもAWDへの憧れというか、必要性とするのか…、いずれにしてもいくつもトライした形跡はある。今回はそのアプローチを探ってみる。

 

ハイパワーAWDコンストラクション、トゥイニ

まず初めは『トゥイニ=Twini』だ。この名を聞けばおおよそ想像が付くと思うけれども「4つのタイヤを動かすためにエンジンをふたつ積んでしまえ!」という超乱暴短絡思考のシロ物である。ミニの過去を記した文献にも登場しているので知っている方も多かろう。ツイン・エンジンのミニを歴史的に紐解いてみると、1963年頃にBMCが試験的に作ったとされる資料が多い。レースへの参戦記録もあり、当時のコンペティション・デパートメントが競技マシンとして開発に携わっていた節もある。どうやら、ジョン・クーパーもプライベートで試作していたと聞く。一方ではモークをベースにツイン・エンジンを製作した記録もあり、これは明らかに軍用納品を狙ったトライアルなのだろう。モークがAWDでないことは評価的には大きなマイナスポイントだったからだ。
 資料をドサドサとひっくり返せばいろいろなことが発見できるのであろうが、ここでは実際に見聞きしたことをエピソードとして紹介したいと思う。自身、思い出深い話なので暫しお付き合いのほどを。

 トゥイニの現車を見たのは1992年頃のことだと思う。大阪のスペシャルショップが輸入した車輌だった。パッと見た風体ではクーパーSそのもので、往時はどういった経緯、どのような目的で製作されたのかが今ひとつ明確にならないで悩んだ。もともとはプロトタイプとして作ったものらしく、設計図に基づいてレストレーションされた車輌だった。

 

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 一般的な発想のAWDであれば、トランスファギアボックスを設けて前後にプロペラシャフトを使って動力分配、ディファレンシャルを前後に装備してロードホイールを駆動するのが常套手段となる。しかし、ミニにはそんなスペースがないと判断したのか、完結しているミニのパワーユニット(エンジン、ギアボックス、そしてサスペンション、タイヤがサブフレームに全て装着されているのだ…)を前後で2個使えば機構も簡単、出力は二倍と思ってしまったのか…、その本当の本意の部分は定かではないけれども、なんとも思い切ったことをしたものである。

 

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 メーターパネルにスピードメータはひとつであるものの、レブカウンタ、油圧計、水温計はふたつずつ。回転数がシンクロしていないのが、妙に愉快だったと記憶している。ギアチェンジレバーは驚いたことにパイプで前後のギアボックスのアームを連結しているだけ。実に簡素だが、まぁ充分といえば充分。ただ、やたら重かった。

 

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 本来ならリアシートのあるべきところにエンジン。シートに金属の箱が置かれるがごとくカバーが作られている。冷却サーキットもラジエータも前後別。サイドシルに付いたリアエンジン冷却用のエアスクープが印象的だった。ついでにエキゾーストも別で、サイレンサが二段積みだったような気がする…。その姿に感心はするものの、「もっと、頑張りましょう!」的な印象だった。

 

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 走ってみるとこれまたビックリ。あまりインプレッションは得意ではないのだが、前で引っ張り、後ろから押される、ミニらしくないパワーに慌てた。考えてみればクーパーSの1275cc、ツインキャブのエンジンがふたつ付いているのだから力強いのもあたりまえだ。足まわりがどうのこうのいう前に、笑ってしまうほど楽しかった。

 

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 そう、このミニは総排気量が2550cc。登録は3ナンバーだった。

 

開発コードADO19、プロトタイプ名はアント

もうひとつのAWD。これも最終的には市販モデルとはならなかった残念なモデル。歴史に埋もれてしまったが、その実は名車だと固く信じているクルマだ。ADO19というオースチンの開発ナンバーが与えられて、最終試走段階のプロトタイプまでできていた。その名は『アント』、蟻である。

 

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 アントは明らかにミニの兄弟車だ。その根拠はミニと同型のAタイプエンジンを使っていることと、アレック・イシゴニスが開発したこと。この2点があれば充分だ。量産直前まで辿り着きながら、悲劇の結果になってしまったのは、当時の会社の状況によるものだ。ランドローバー・ブランドを傘下に持つことになったメーカーは、当時ランドローバーが生産していたショートホイールベースのモデルを継続する意向で、開発最終段階に達していたADO19、アントをお蔵入りにしてしまったのだ。排気量やボディサイズなどは、現実的には大きく異なっていたけれども、同セグメントで2バリエーションを販売する体力もメリットもなかったということなのだろう。ミニのエバンジェリストとしては、全くもって残念な経緯である。
最終段階で生産された車輌は3〜4台といわれている。その一台が我が国で登録されていた。現車を取材しながら、コンパクトAWDとして実に良くできていると感心することしきりだったのである(天才サー・アレック・イシゴニスの設計と知り、贔屓目なのは否めないが…)。その独自の全輪駆動車の機構を覗いてみることにしよう。

 

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 やはり、最初に記しておきたいのは、前後のロードホイールを駆動するメカニズムだ。エンジン(いわゆる腰うえといわれる部分)はミニと同様で、クラッチハウジングをサイドに持つ横置きである。排気量は1098ccのプロトタイプから最終的には1275ccを採用した。大きく異なるのはギアボックス。変速ギア、前輪のディファレンシャルに加えて、ハイ、ロー2段のトランスファギアとセンターディファレンシャルギアを持ち、後輪に動力を伝えるプロペラシャフトが設置される。後輪側はディファレンシャルギアボックスから等速ジョイントを装備したドライブシャフトが伸びる。近年は横置きFFベースのAWDも一般的な機構となっているものの、その始祖はこんなところにあったのである。アントが世に出ていれば、この機構はミニのデビューと並ぶセンセーショナルは製品となったに違いない。

 

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 サスペンション・スプリングは前後共にトーションバーを用いている。ラバーコーンでないのが残念なのだが、悪路の走破性を考慮してサスペンションのストロークを大きく確保するための設計なのは明らかだ。フロント側は車軸と直行する2本、リア側はラジアスアームを連結する形で車軸と平行するトーションバーが装備されていた。アームを長く確保し、ソフトレートで長いストロークを得る設計だ。
 今となっては貴重な歴史のいちモデルであるが、アントが市販されていたらどれだけ多くのファンを獲得できたのだろうと思う。チャンスがあれば、今でも入手したいマシンである。

 

AWDをテーマに少しばかり長い文章になってしまい申し訳ない。ミニのヒストリーの中には、こういったプロトタイプが存在していたことを記憶にとどめていただければ、と思う。実はもうひとつ、スズキのジムニー(もちろん軽のAWD、名車だ)をベースにミニのボディを装着…、というか被せてしまったクルマも紹介したかったのだが、スペースがなくなってしまった。日英両方で存在したので、また機会を得て紹介したいと思う。これがまた実にユニークなのだ。

お楽しみに。

 

 

WRITER PROFILE

 

_GP21029田代(G)基晴(たしろ・ごーりー・もとはる) ミニより1歳年下の1960年生まれ。ミニ・フリーク誌のスタートから、はや四半世紀…、どっぷりミニ漬けの人生を過ごす。スクーバダイビングや自転車、カヌーや登山、アイスホッケーにまで手を出してきたシアワセものだ。制作全般が生業となるが、自称フォトグラファーである。現在は相模湖にスタディオを構え、趣味の伝道師を目指して精進している毎日。 会社はこちらGP・JUNOS

 

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